折れたチョークの白
黒板の端から端まで、瀬名は街を描いた。文化祭の共同制作で、夜の駅、商店街、屋上のアンテナを色チョークで埋め尽くした。
唯一、空だけが白かった。
そこは玲の担当だった。瀬名は何度も「雲くらい描いて」と頼んだが、玲は白いチョークを置いたまま、何も足さなかった。未完成に見える、と二人は言い争った。
ところが来場者が一番長く立ち止まったのは、その空の前だった。好きな形を想像できる、息ができる、と感想カードに書かれていた。ある小学生は白い部分を指し、ここには朝が来る、と母親へ話していた。瀬名はその声を聞きながら、何も描かなかった玲が褒められたように感じ、笑えなかった。自分は空白が怖いからこそ、街の窓を一つ残らず塗ったのだと気づいてしまった。
閉会後、二人は教室に残り、絵を消した。濡れた雑巾が建物を崩し、赤い電車を流し、夜景を黒へ戻していく。
瀬名はまだ悔しかった。美術大学の推薦は玲に決まり、自分は進路さえ選べていない。推薦発表の日から、玲の筆箱が机にあるだけで胸がざらついた。祝いたい気持ちと、選ばれなかった悔しさを同時に持つ自分が嫌だった。空白を残せる玲と、埋めなければ不安な自分。その違いまで評価されたように思えた。
最後に白いチョークを拾い、黒板へ〈終了〉と書こうとした。力を入れすぎて、チョークは二つに折れた。
玲が短いほうを取り、消したばかりの黒板の隅に小さな四角を描いた。扉の形だった。中は塗らない。
「空いてるところって、失敗じゃないよ」
それだけ言って、長いほうを瀬名へ返した。
瀬名は返事をしなかった。けれど折れたチョークを捨てず、制服のポケットへ入れた。
帰宅して、応募を諦めていた公募のスケッチブックを開く。最初の見開きに線を引きかけ、手を止めた。右半分は白いままにした。左半分だけに、教室にはなかった朝の駅を描き始める。
白い頁は、何もできなかった跡ではない。これから変えられる余地だった。
瀬名は折れたチョークを机に置き、次の線を選んだ。