撮り直さない十秒
二十八歳の宮原那智は、音声メッセージを送る前に必ず録り直した。語尾が暗い、息が入った、笑い方がわざとらしい。三十秒の返事に十五分かけ、結局文字だけを送ることも多い。
妹とは半年、文字でしか話していなかった。電話口で言い争った最後の日、那智は「もう好きにすれば」と言った。謝りたいのに、声にすると泣きそうだった。泣けば許しを迫るようで嫌だった。何度も録音し、整いすぎた声を自分で消した。妹から最後にもらった音声には、駅のアナウンスと風の音が入り、言葉の途中で笑っていた。那智はそれを何度も再生した。きれいではない声ほど、そこに本人がいる気がした。それでも自分の息や沈黙だけは、相手へ渡すのが怖かった。
駅裏の広場で、唐沢ユノが小さな機械へ声を重ねていた。短い「ア」という音を録り、それに低い声、高い声、指を鳴らす音を足し、一人で合唱を作っていく。途中で咳き込み、その咳までリズムに残した。失敗を消す代わりに、次の声を重ねて音楽へ変える。その手つきを、那智はしばらく見ていた。消さないことにも技術がいるのだと、初めて思った。
那智が笑うと、ユノが機械を止めた。
「笑い声は、何回録り直したら本物になりますか」
「録り直すほど、違っていく気はします」
「では十秒だけ。一度録って、聞き返さず、誰か一人へ送ってみて」
スマートフォンを差し出され、那智は受け取らなかった。ユノは肩をすくめ、また声を重ね始める。課題をするかどうかも、送り先も聞かなかった。
帰宅後、妹とのトーク画面を開いた。最後のやり取りは〈分かった〉で止まっている。那智は録音ボタンを押した。何を言うか決めないまま、駅裏で聞いた旋律を小さく口ずさむ。途中で音程を外し、自分で笑った。十秒が終わる直前、「あのとき、ごめん」と声が落ちた。
指を離す。再生ボタンが現れる。いつもなら必ず聞き、息遣いを削り、言葉を足す。那智は波形を見つめたまま、再生せず送信の矢印を押した。