改札でほどけた推し色
栗林優佳は、休日だけ髪に緑のリボンを結ぶ。アイドルグループ〈MORNING DEW〉の朝倉ニナが、デビュー衣装で付けていた色だ。会社では黒いゴムしか使わない。二十六歳で大きなリボンは痛い、と誰かに言われる前に、自分から仕事の自分と切り離していた。リボンの端には、ニナが初舞台で書いた小さな朝露の印が刺繍されている。
日曜夜、遠征帰りの駅は混雑していた。改札を抜ける直前、キャリーケースの車輪が段差へ引っかかり、結び目がほどける。緑のリボンは人の流れに乗って床を滑った。
拾ったのは、営業課長の陣内佐保だった。出張帰りらしいスーツ姿で、優佳を見て驚く。その手には、朝倉ニナの公式ペンライトが半分のぞく布袋があった。
二人とも言葉を失った次の瞬間、後ろから急ぐ人に押され、優佳のケースが倒れた。佐保はリボンを手首へ巻き、ケースを起こし、人の少ない柱の脇まで運んだ。
「けがは?」
「ありません。あの、課長も今日の公演に」
佐保は布袋を見下ろした。
「同じ推し。席は遠かったけれど」
優佳は先に言い訳した。
「会社ではこんな格好をしません。仕事に持ち込むつもりも」
「今は勤務中ではないでしょう」
佐保はほどけたリボンの端を整えた。手つきが妙に慣れている。
「姪に結んでいるんですか」と優佳が聞くと、佐保は首を振った。
「自分の応援バッグ。私は人に見られない内側へ結んでる」
佐保はリボンを返したあと、結び直そうとはしなかった。どう着けるかは優佳の領分だと分かっているようだった。
月曜、優佳は早退申請を出した。次の公演の開場時間に間に合わせるためだ。これまでなら「通院」と書いていたが、今回は理由欄に〈ライブ参加〉と入力した。
佐保から承認が返る。
〈業務引継ぎ確認済み。気をつけて〉
それだけだった。
金曜の朝、優佳は緑のリボンを鞄に入れず、髪へ結んで出社した。小さめの結び方にしたのは会社へ合わせたからで、隠したからではない。改札でほどけても、もう拾った色を恥じないと思えた。