最後の学費振込

高瀬保乃香は、銀行のATMで最後の振込を終えた。

振込先は父。摘要欄には〈大学学費返済 最終〉と入れた。父が勧めた経済学部へ進む条件で出してもらった四年間の学費を、就職してから毎月返してきた。

すぐに父から電話が来た。

「こんな金、返せとは言ってない」

「返したかったの」

「じゃあ来月から、その分を資格学校に回せ。会計士なら今からでも――」

保乃香はATM横の細い台に、振込明細を置いた。父は進学費用を「投資」と呼び、成績表が届くたび利回りを確かめるように順位を聞いた。卒業後に保乃香が児童書の編集部へ入ると、「回収できない」と笑った。

初任給の日、父は返済額より先に転職先の候補を三社送ってきた。振込は感謝を示すためではなく、毎月届く指示と学費を切り離すために続けていた。

「資格学校には行かない。お金の話を、進路の指示に使わせないために返した」

「親が娘に期待して何が悪い」

「期待は返せないから、学費だけ返した」

受話口の向こうで、父が椅子を引く音がした。

「そんなに嫌だったなら、最初から断ればよかっただろう」

保乃香は明細の端を指で押さえた。十八歳の自分には、家を出る費用も、父の反対を押し切る言葉もなかった。今それを説明しても、父は当時の保乃香へ責任を戻すだけだと思った。

「昔の私に、今の私の強さを要求しないで」

父は黙った。

「これから仕事の相談は、私が頼んだときだけ。年収も昇進も聞かないで。聞かれたら電話を切る」

「編集なんて先がないぞ」

保乃香は通話終了のボタンへ指を置いた。

「今ので今日は終わり」

電話を切った。すぐ再着信があったが取らない。明細を二つ折りにし、財布へ入れた。

その夜、父から短いメッセージが届いた。

〈入金を確認した。もう送らなくていい〉

ありがとうも、悪かったもない。それでも「次はこの資格を取れ」とは書かれていなかった。

保乃香は明細を捨てず、机の引き出しへしまった。借りを返した証明ではない。これから父の期待を借金として扱わないと決めた、境界線の領収書だった。