未使用フィルム三十六枚
暗室の赤い灯りの下で、泉川皓は新品のフィルムを机へ置いた。
荻原梢恵が現像液の温度を測り、笹井悠真は卒業アルバム用の写真を乾燥棚から外している。
「それ、今日使うんじゃなかった?」と梢恵。
「使わない。カメラも売る」
半年前、学園祭で学生が倒れたとき、皓は一瞬だけシャッターを切った。すぐ救急車を呼び、写真は誰にも見せなかった。それでも、助けるより先に構図を見た自分を許せなかった。
「写真をやめる理由にするには、一瞬すぎる」と悠真。
「一瞬だから怖いんだよ」
切ったネガの破片は、暗室のごみ箱にまだある。梢恵が拾おうとすると、皓は蓋を閉じた。写っていたのは倒れた学生ではなく、駆け寄る誰かの靴だけだという。
「助けた人も写ってたんだな」と悠真。
「俺は、その外にいた」
皓は福祉施設へ就職する。「俺はカメラを持たない場所へ行く」
梢恵は地方紙の写真記者になる。「私は事故現場も撮る。撮ることが助けになる場合もある」
悠真は結婚式場の撮影部へ行く。「俺は幸せな顔だけ撮る。少なくとも契約上は」
赤い光は三人の顔を同じ色にし、誰が正しいかを隠した。
「その写真、見てから決めたかった」と梢恵。
「見せるために撮ったんじゃない」
最後の現像は、三人で撮るはずだった部室の集合写真だった。タイマーが鳴り、印画紙に机と窓と三脚が浮かぶ。皓だけがシャッターを押したため、写真の中にいない。
「セルフタイマーにすればよかったな」
「これでいい」
退室時、皓はカメラを持ち帰ったが、新品のフィルムを机に残した。梢恵は追いかけようとしてやめる。
集合写真の余白には、皓が立つはずだった印だけが薄く残っていた。梢恵は印画紙の端へ日付を書き、悠真は三人の名を書こうとしてやめる。写っていない人の名を足せば、写真が優しい嘘になる気がした。
未開封の缶が引き伸ばし機の下で赤い灯りを反射していた。中には一枚も写っていない三十六枚分の未来が、固く巻かれたまま残っていた。