横向きの空

大戸井宗弦は、縦型配信専門の旅行ライターだった。画面いっぱいに崖や滝を入れると、短い動画でも伸びる。

取材先は、山腹に丸く開いた「天井井戸」。井戸を覗くのではなく、底から空を見上げる場所だという。案内役の老人は入口で紙を一枚渡した。

《星が輪になっても、配信画面を横向きにしてはいけない》

老人は、昔ここで方角を失った者は空へ帰ったとだけ話し、入口から先へ来なかった。宗弦は縦画面のまま洞穴へ入った。頭上の円い空は次第に暗くなり、一番星が一つ、二つと現れた。コメント欄には《星が動いてる》《円の縁に顔》と流れる。

やがて星々が輪になり、穴の縁を回り始めた。縦画面では全体が入らない。宗弦は記事用の資料が欲しくなり、スマホを一度だけ横向きにした。

配信アプリは《画面の向きを固定しました》と表示したのに、映像の中で空が九十度倒れた。

現実の重力まで引かれ、宗弦は洞穴の壁へ転がった。小石が地面ではなく、横向きになった空へ落ちていく。コメントには《こっち側に来た》《画面戻すな》と並んだが、配信は途切れた。

視聴履歴には、宗弦の配信を上空から見ていたアカウントが一つだけ残り、名前は《下の人》だった。気づくと宗弦は入口の外にいた。案内役はいない。スマホの水平器だけが、地面を「垂直」と示していた。

町へ戻れば、道路も建物も普通だった。ただ、通行人の影だけが足元ではなく空へ伸びていた。宗弦は端末の故障だと考え、ホテルで眠った。

翌朝、天気アプリが現在地を通知した。

【上空三十八メートル 晴れ】

【落下確率 九〇%】

地図アプリでは、青い現在地マークがホテルの真上に浮いている。現在地へ戻るボタンを押すたび、表示高度が一メートルずつ下がった。

配車アプリからメッセージが来た。

《ドライバーは下で待っています》

窓の外を覗く。道路には誰もいない。代わりに、天井から車のクラクションが鳴った。

スマホが自動回転し、横向きになった。画面の空から、宗弦と同じ顔が落ちてきた。