止まった水槽の午後
推理作家の杠葉が、ホテルの執筆室でオンライン編集会議中に殺された。午後九時二十二分、彼の画面から机を叩く音がし、同時に隣室の編集者が駆けつけたが、扉は閉めるだけで施錠されていた。非常鍵で入ると杠葉は刺殺され、窓は内側から固定されている。
容疑者は共著者の粟飯原、担当編集の比企谷、著作権代理人の曽我廼。三人とも会議中ずっと画面にいた。特に粟飯原は自宅の大水槽を背に座り、事件時刻にも発言している。ホテルから彼の自宅までは車で十分だから、オンライン映像が完全なアリバイになった。
杠葉は新作の共著名義を取り消すと宣言し、粟飯原は激しく反発していた。比企谷は締切を守らせるため隣室に泊まり、曽我廼は権利配分の変更を迫られている。粟飯原の映像は静かな書斎そのもので、水槽の青い光が頬を揺らしていた。参加者はその美しい背景を、本人の所在証明として無意識に受け入れた。
私は粟飯原の画面だけを音声と分けた。手掛かりは三つだった。
第一に、水槽の同じ泡が三十一秒ごとに同じ順序で割れ、赤い魚も同じ軌道を泳いだ。
第二に、背景のデジタル時計は十二分間ずっと「21:14」のままだった。
第三に、会議記録では粟飯原の音声は携帯電話から、映像はパソコン内の動画ファイルから送られていた。
比企谷は録画を巻き戻した。粟飯原の肩は動いているように見えたが、それも三十一秒で同じ姿勢へ戻る。声だけは生で、車内からでも会議へ加えられた。
「粟飯原は自宅映像を短い輪にして流し、携帯で会議へ話しながらホテルへ来た」私は言った。杠葉を襲い、扉を閉めて自動錠を掛け、近くの駐車場から会議を続けたのだ。泡と魚の反復が映像の輪を、止まった時計が長時間の偽装を、端末の分離が声だけ別の場所から送れたことを示す。画面の粟飯原は一歩も動かなかった。だからこそ、本物の粟飯原は自由に動けた。 美しい水槽は背景ではなく、三十一秒の檻だった。 音声が生であることは、映像まで現在だという証明にはならない。