水槽の方位磁針

海洋館の大水槽で、経営監査役の洲崎が底の鉄製グレーチングに伏していた。潜水員が腕を引いても腰が離れず、夜間排水を始めれば魚が危険にさらされる。原因を確かめるまで、遺体は水底から動かせなかった。

閉館後に水槽周辺へ入れたのは飼育員の夜久、設備技師の長宗我部、出資者の瓜生。洲崎は改装費の不正を調べ、三人のうち一人が架空発注をしたと突き止めていた。夜久は魚の給餌記録、瓜生は電話会議の録音を示した。長宗我部は「洲崎は点検用梯子から落ち、ベルトが格子に挟まったのだろう」と言った。だが潜水員が左右から引いても、腰だけが同じ地点へ吸い戻される。大型魚はその周囲を避け、砂粒まで小さな円を描いていた。

水槽は青く暗く、上からは腰の周りがよく見えない。私は潜水員に三つだけ確認してもらった。

一つ。売店から借りた方位磁針は、水槽へ近づくほど北ではなく洲崎の腰を指した。通常運転のポンプでは起きない偏りだった。

二つ。ベルトの鋼鉄製バックルは格子へ平たく吸いつき、布にも体にも引っ掛かり傷がない。縄や挟み込みではなく、強い磁力で保持されている。

三つ。設備室の施錠棚から十八キロのネオジム磁石が一個なくなり、電子錠は午後九時九分に長宗我部だけが知る暗証番号で開いていた。水中へ沈められる点検用樹脂ケースの発注者も彼だった。

長宗我部は磁石など水中で扱えないと言った。夜久は青い水槽を見下ろし、返事の代わりに首を振った。

長宗我部は樹脂ケースへ強力磁石を入れ、グレーチングの裏側に固定した。殺した洲崎を水槽へ沈め、鋼鉄バックルを磁石の真上へ置けば、縄なしで腰だけが底へ吸いつく。方位磁針が隠れた磁場を示し、傷のないバックルが保持方法を限定し、棚の欠品と解錠記録が道具の持ち主を決める。仕掛けは磁石一つだった。事故を装った水底で、見えない力だけが犯人の名をまっすぐ指していた。 水の暗さは磁石を隠せても、磁場そのものまでは消せなかった。