決闘状の署名
剣花夜会の最中、扉が開き、血に濡れた決闘状が運び込まれた。
「ザフィーネ・ロウゼン。君はプリスカを襲わせた」
騎士公子レオダンは、包帯を巻いたプリスカを庇うように立った。
「君の署名入りの決闘状を持つ傭兵が、彼女を待ち伏せした。卑劣な手段を使う女との婚約を、ここに破棄する」
ザフィーネは紙面を遠くから見た。
「告発は、わたくしがその決闘状を発行したという一点ですね」
「署名がある」
「署名だけなら、確かめられます」
近衛騎士団長テオバルトが輪の中へ入った。彼はザフィーネの剣術教師だったが、庇う言葉は口にしない。血のついた決闘状を受け取り、柄頭の宝石へ触れさせた。
騎士の正式な決闘状は、署名時の握力と脈拍を紙繊維に刻む。団長の宝石は、それを一度だけ再生できる。
紙の上に赤い線が浮かぶ。
脈拍、毎分百二十。
筆圧、右下へ偏位。
署名者、左利き。
ザフィーネは右手で扇を持ち、右腰に剣を佩いている。幼いころのけがで、左手の指は二本が曲がらない。
プリスカが包帯を押さえたまま後ずさった。彼女は左利きだった。隠そうとした左手の脈まで、紙に浮かぶ線と同じ速さで跳ねている。
「彼女一人の企みだ」とレオダンは即座に言った。
庇われていたはずのプリスカが、今度は彼から逃げるように一歩離れた。
ザフィーネは決闘状を見つめた。血はプリスカ自身のものだろう。傷まで利用して自分を落とそうとした二人に、怒りより先に寒気がした。騎士の誇りを語っていた男が、最初から剣を交える勇気さえ持たず、紙と噂の陰へ隠れていたのだ。
「ザフィーネ、これは彼女の独断だ。私は騙された。婚約破棄は取り消す」
「決闘なら、取り消しの申し出を受けることもあります」
レオダンが安堵しかける。
「ですが婚約は、剣より重い。お断りします」
テオバルトが手を差し出した。
「西門守備隊の副長席が空いている。家名ではなく実力で任命する。正面の敵だけでなく、背後から来る刃を見抜ける者が必要だ」
ザフィーネはレオダンに背を向け、その手を取った。