湯だけを頼む監査役
カフェチェーンの内部監査役、糸魚川廉は、どの店舗でも白湯しか頼まない。
濃紺のスーツの内ポケットには、未開封の砂糖が何十本も入っている。店長が新作を勧めても首を振り、レジを見る時だけ言う。
「甘さは帳簿に出る」
柊木百々が見つけたのは、駅前店で毎週四千五百円ほど売上が合わないことだった。午前五時半、同じ時間帯に手入力の値引きが集中している。担当は長く勤める店長だ。
「横領でしょうか」
「疑う前に、砂糖を数えろ」
廉は客席の砂糖を数え、百々にも数えさせた。売上が不足する日は、砂糖も紙カップも予定より多く減っている。防犯映像には、始発前の清掃員や夜勤明けの看護師へ、店長がコーヒーを渡す姿が映っていた。
店長は、閉店時に余る豆を捨てたくなかったと言った。代金は自分の休憩用ポイントで補ったつもりだったが、処理方法を間違えていた。
「善意でも不正は不正です」
百々が言うと、廉は白湯を一口飲んだ。
「だから善意を叱るんじゃない。隠す仕組みを直す」
彼は処分だけで終わらせなかった。廃棄予定分を活用する『保留コーヒー』を企画し、客が一杯分を先払いできる制度に変えた。誰が受け取ったかは記録せず、渡した杯数だけを帳簿へ残す。店長には経理研修を受けさせ、最初の不足分は販促費から正しく精算した。無料提供を受けた客の名前は聞かず、過去の映像も調査終了後に削除した。善意を制度へ変えても、受け取った人を帳簿の見世物にはしなかった。百々は値引き処理の画面も作り直し、善意が店長一人の秘密にならないよう二名承認へ変えた。廉はその提案書にだけ、白湯のカップを置いて黙って頷いた。
「監査が企画を出していいんですか」
「駄目な理由が帳簿にない」
制度初日、一杯目の保留コーヒーを買ったのは廉だった。彼は内ポケットから、ずっと集めていた砂糖を一本だけ出す。
百々は、在庫確認のために持ち歩いているのだと思っていた。
廉はそれを白湯へ溶かし、初めて甘いものを口にした。
「今日は監査ではなく客ですか」
「違う。帳簿に出ない甘さが本当にあるか、君と確かめている」
空になった砂糖の袋を二つに折り、百々の監査手帳へ挟む。
「甘さは帳簿に出る。出ない分は、二人で見張る」