漁協の朝

浦瀬漣は、父・巌平の脳梗塞後も船を出した。夜明け前に網を上げ、昼はリハビリへ付き添い、夕方には市場で値を付ける。兄の海良と重吾は都会で暮らし、「漁師は継がないが、船と漁業権は売る」と公言していた。

巌平が亡くれた三日後、兄たちは仲買業者を連れて港へ来た。

「父さんの船二隻と漁場の持分をまとめて売る。漣には雇われ船長をさせればいい」

海良はすでに買付証明へ署名し、手付金一千万円を受け取っていた。重吾はその金で自分の店の滞納家賃を払ったという。漣が止めても、「次男が長男の相続に逆らうな」と聞かなかった。

漁協の臨時総会の日、兄たちはスーツ姿で最前列に座った。仲買業者は、港の大型冷蔵庫と漁獲枠も契約に含まれると説明し、残金を払う準備をしている。

組合長は、巌平の名札を外し、漣の名札を掲げた。

漁業権は土地のように遺産として自由に売れるものではない。資格、従事実績、組合の承認が必要で、巌平は生前に後継者を漣として届け出ていた。二隻のうち一隻は漁協の共同所有、もう一隻は漣がローンを返済し、すでに名義変更も終えている。

「じゃあ手付金は、何に対する金だ」

仲買業者が低い声で尋ねた。

海良の買付証明には、存在しない「浦瀬家専有漁区」と、漁協所有の冷蔵庫まで売却対象として記載されていた。重吾は巌平の組合印を無断で押し、売買権限があると保証している。

組合長は総会資料をめくった。

「議案第一号。組合資産を無断で売却しようとした両名について、港への立入りを禁止する」

満場一致で手が上がった。

仲買業者の弁護士は、契約解除と手付金倍返し、調査費、逸失利益を合わせた請求額を示す。兄たちは漣を見た。

「お前が船を売れば、丸く収まるだろ」

漣は父の古い帽子をかぶり、総会の扉の向こうに広がる海を見た。

「父を看なかったことは責めない。でも、看ていなかったから知らない物を売った責任は、俺には渡せない」

組合長が新しい操業許可証を漣へ手渡した。

「本日からこの海へ出られる浦瀬は、漣だけだ」