無音のバックアップ
守谷七瀬の機材だけ、音がしなかった。
地方ラジオ局の送出室で、最新の自動配信サーバーが唸る横に、彼女は小さな独立回線と手動卓を置いていた。
榛名プロデューサーは、それを「博物館」と呼んだ。
「自動化に任せられない人間ほど、自分の仕事を難しく見せる。守谷さんは生放送には向かない」
七瀬は深夜番組から外され、録音素材の整理だけを任された。それでも毎週月曜、誰もいない早朝に専用線を呼び出し、消防と読み合わせを続けていた。
台風が県内へ上陸した夜、局舎のネットワークが落ちた。
自動配信は同じ広告を繰り返し、ニュース原稿も防災情報も送れない。携帯電話の回線まで混雑する。県内では河川があふれ始め、住民から『ラジオが同じ広告しか流さない』という電話が殺到した。
榛名は再起動を命じた。
一度、二度、三度。画面は戻らない。
「守谷、何とかしろ」
七瀬は無音の卓へ座った。
独立回線は、災害時に市役所と消防本部を直接つなぐ古い専用線だった。廃止予定だったが、七瀬が毎月試験し、手動切替の手順も更新していた。
消防から避難指示が届く。
七瀬は時刻、区域、避難所を復唱し、二人目の確認者を求めた。
榛名が怒鳴る。
「一秒でも早く流せ。読めばいい」
「地名が一字違います。西浜ではなく西濱地区です」
確認が返る。
同じ読みでも、川を挟んで別の地域だった。
七瀬は手動で送出を切り替えた。
無音だった卓のランプが一つだけ灯り、彼女の声が県内へ流れる。避難所名を一つずつ区切り、停電中でも聞き取れる速さで二度繰り返した。
放送中、総務省の災害通信担当から専用線へ呼び出しが入った。
自動設備の障害だけでなく、誤った地名を含む原稿が配信サーバーへ登録されていたことも確認された。
榛名は「彼女は補助で、判断は私が」と説明した。
担当官は送出記録を読み上げた。
誤報を止め、正しい区域を確認し、規程どおり二系統で伝えたのは七瀬だけだった。
回線の向こうで、正式な指示が告げられる。
「以後の緊急放送判断は、守谷七瀬さんに一任してください」