狸の契約書に帰る場所

契約代行所「化かし抜き」の所長は、尻尾で算盤を弾く。

紫乃が相談票を書いている間も、焦げ茶の羽織を着た狸の弥帳は、一円単位で何かを計算していた。

「口約束は、狸も食わない」

紫乃は二年暮らした友人とのルームシェアを解消したばかりだった。

友人は恋人の家へ移り、最後の家賃と光熱費を払わないまま、連絡を減らした。請求したい。でもお金のことで友情を壊した人にはなりたくない。

「できれば、角が立たない文章を」

「角がないのは狸だけで足りる」

弥帳は算盤を鳴らし、家賃、電気、水道、退去清掃費を並べた。合計七万八千四百円。

「友達だから、少しくらい負担しても」

「友達だから曖昧にする。曖昧だから恨む。人間は同じ穴を丁寧に掘るな」

弥帳は二枚の紙を出した。

一枚目は、支払期日と振込先だけを書いた請求書。

二枚目は、紫乃が本当は伝えたかった手紙だった。

急にいなくなって寂しかった。

お金より、相談されなかったことが悲しかった。

それでも二年間、一緒に暮らしたことまで嫌いにはなりたくない。

「混ぜるな」

「どちらか一枚にできませんか」

「金額と感情を同じ封筒へ入れると、人間は安いほうだけ払う」

紫乃は二通を別々に送った。

翌日、友人から謝罪と振込予定日の連絡が来た。期日は守る、と明記されていた。そのあとで、恋人の転勤が急に決まり、言い出せなかったと長いメッセージが届いた。

すぐ元通りにはなれない。それでも、何に怒り、何を惜しんでいたのかは分かった。

代金を尋ねると、弥帳は算盤を伏せ、細長い紙を差し出した。そこには金額ではなく、こう書かれていた。

――今後、困ったときは黙って消えないこと。

「私とあなたの契約ですか」

「口約束は、狸も食わない」

紫乃が署名すると、弥帳も肉球の印を押した。

「人間は嫌いだが、帰る場所を勝手に退去されるのは寝覚めが悪い」

店を出たあと、紫乃は友人へ『落ち着いたら、鍵を返しに来て』と送った。

今度の約束は、文字になって残った。