痛みの王冠
闘技場の砂へ、エナシュの血が円を描いていた。
向かいには王の剣士ソルヴィが立つ。エナシュが負ければ、反乱兵三十人が観客席の下で処刑される。
鎖骨に刻んだ悪魔クルガとの契約は、痛みを力へ変える。その代わり、変えた痛み一つにつき感情を一つ失う。どの感情が奪われるかは、力を使う瞬間まで分からない。
ソルヴィの槍が脇腹を裂いた。
エナシュは痛みを握り潰す。
筋肉に熱が満ち、槍を片手で折った。同時に、恐怖が消えた。死を前にしても心が動かない。
二撃目は肩を貫いた。痛みを力へ変えると、哀れみが消えた。倒れた相手へ剣を向けても、躊躇がなくなる。
三撃目で怒りを失った。王を見ても、故郷を焼かれた記憶は乾いた絵のようだった。
「もう立つな」とソルヴィが言う。「勝っても、おまえは空になる」
「空でも、鍵は開けられる」
観客席の下から、妹たちの鎖が鳴る。
ソルヴィの剣が胸を浅く切った。エナシュは四度目の痛みを変えた。
喜びが消える。
身体はさらに強くなり、剣を弾き飛ばした。あと一撃で勝てる。だがソルヴィは素手で彼の折れた肩を掴み、骨を砕いた。
白い痛みが全身へ走る。
クルガが囁く。
「次に失うのは、愛だ」
砂の向こうで妹が泣いていた。彼女を救いたい理由そのものが消える。それでも、救えた事実は残る。
エナシュは痛みを力へ変えた。
愛が胸から抜けた。
彼はソルヴィを投げ、喉元へ折れた槍を突きつける。王が降参の旗を上げ、地下牢の鍵が開いた。
歓声が闘技場を揺らす。
妹が砂へ飛び込み、エナシュを抱きしめた。
「兄さん、勝ったよ」
彼は腕を回すべきだと知っていた。幼いころ何度もそうした記憶がある。だが身体は動かなかった。抱いている少女は、救うべき対象という意味しか持たない。
鎖骨の契約印から銀色が広がり、両目の虹彩を塗りつぶした。鏡のような瞳には、妹の泣き顔だけが映る。
涙が頬を伝った。身体が昔の習慣で流しただけで、悲しみはない。
王冠を拒み、囚人を解放した勝者を、人々は英雄と呼んだ。
しかしその名を聞いたエナシュの胸には、誇りも安堵も生まれなかった。痛みを捨てて勝った男には、勝利を感じる場所まで残っていなかった。