痛覚は切れません

御影祥吏は毎朝、母・砂和の介護用身体の痛覚値を確認する。三十%。転倒には気づけて、関節痛は感じない。砂和は「若返ったみたい」と笑い、祥吏より先に洗濯物を干した。

買い物帰り、自動車が歩道へ突っ込んだ。

砂和の貸出身体は脚を挟まれ、骨盤を砕かれた。意識を本体へ戻そうとしたが、衝撃で接続路が不安定になり、切断すれば記憶障害の危険がある。医師はそのまま緊急手術を決めた。

手術室前で、祥吏へ確認通知が届く。

《損傷原因の査定が終わるまで、痛覚遮断を許可できません》

貸出身体の修理費を事故加害者と利用者のどちらへ請求するかは、術中の痛みへの反応で判定する。身体を乱暴に扱った利用者は、傷の瞬間と同じ部位に強く反応するという。だから麻酔で痛覚を消してはならない。それだけが規則だった。

「母は手術されるんですよ」

「意識は鎮静できます。ただし痛覚信号は本体へ送られます」

砂和の本体は、隣市の保管槽にある。眠ったまま、切開と固定の痛みだけを受ける。

祥吏は全額自己負担を申し出た。

《査定放棄には身体価格四千万円の即時決済が必要です》

払えるはずがない。

手術が始まる。

壁のモニターに、砂和の痛覚波形だけが表示された。切開のたび赤い線が跳ね上がる。声は聞こえない。鎮静されているため、叫ぶための口さえ動かせない。

祥吏の端末へ一分ごとに質問が出る。

《現在の反応は利用者の過失を示すと思いますか》

《はい/いいえ》

「いいえ」を押すたび、異議申立て手数料が加算された。

二時間後、医師が出てくる。

「手術は成功しました」

祥吏は立ち上がれなかった。

砂和の意識はまだ戻らない。代わりに査定結果が届いた。

《事故直前、利用者が信号点滅中に横断を開始》

《過失割合:二〇%》

歩行者信号は青だった。点滅したのは、車道側の右折表示だ。映像を送っても、痛覚反応が証拠として優先された。

修理費八百万円。

さらに通知が続く。

《強い痛覚信号により、本体の心停止を確認しました》

《貸出身体は修理後、返却してください》

手術室では、母の身体が呼吸していた。

保管槽の母だけが死んでいる。

祥吏が手を握ると、その指は温かく握り返した。自動神経の反射だった。

母のいない身体には痛みが残らず、査定だけが「本人は感じた」と証明していた。