白い糸の結び目

刺繍教室の帰り、浅見透羽の生成り色の傘が、深緑の傘に取り替わっていた。

透羽の傘には、先週できた小さな裂け目がある。布を張り替えるほどではないが、雨粒が一つずつ染みる傷だった。

傘立ての近くにいたのは、講師の木全沙英、同じクラスの八木橋玲、手芸店主の草間百合。沙英は道具を片づけ、百合は店先の看板をしまった。玲は作品を抱え、授業の途中で帰っている。

残された深緑の傘の留め紐には、白い糸で小さな結び目。カバーの中には玲の銀色の指ぬき。作業机からは、透羽が使っていた羽根模様の図案が一枚なくなっていた。

透羽は、玲が生成りの傘を持ち帰ったと気づいた。だが、なぜ自分の傘を残してまで取り替えたのか分からない。

翌週、玲は教室の前で待っていた。透羽の傘を開くと、裂け目の上に白い羽根が一枚、細かな刺繍で縫われている。

「勝手に持って帰って、ごめん」

先月、二人で応募するはずだった展示会を、玲は突然辞退した。透羽が理由を尋ねても、「自信がなくなった」としか言わなかった。その直後から、二人の会話は授業の挨拶だけになった。

本当は、玲の母が手術を受けることになり、作品を仕上げる時間も費用も足りなくなったのだという。透羽に心配されたくなくて、何も言わずに抜けた。けれど透羽が一人で完成させた羽根模様を見て、置いていったことを謝りたくなった。

「裂けたところを見たら、ここなら一針ずつ戻れる気がして」

玲は、針跡の残る指で白い羽根を指した。

「展示の代わりにはならないけど」

透羽は傘を明かりへ透かした。傷は隠れていない。けれど、そこだけ布が前より大切に扱われていた。針目の間に細い線が残り、その上を羽根が飛んでいる。

「代わりじゃなくて、続きにしましょう」

透羽は深緑の傘を返した。

「次の展示、二人で出すなら」

沙英が何も言わず、休憩用の栗羊羹を二切れ持ってきた。百合は応募用紙を机へ置く。

透羽は羊羹を一口かじった。

白い糸の結び目は、今度はほどけなかった。