白紙委任状を渡さない
「僕を信じて。白紙のままでいい」
投資家の久慈が、青い封筒を南雲暁斗へ押し出した。
株主総会の三十分前。中には白紙委任状が入っている。暁斗はこの光景を二度目に見ていた。
一度目、医療機器ベンチャーを守るため、筆頭株主の久慈へ議決権を預けた。総会で久慈は予定になかった資産譲渡を可決し、特許を自分の会社へ一円で移した。暁斗は代表を解任され、残った会社は債務だけを抱えて破綻。研究員たちは散り、完成直前だった小児用人工弁は棚の奥で眠った。
その棚を片づけていた夜から、暁斗は白紙委任状の前へ戻った。
研究棟では、耐久試験機が一定の間隔で脈打っている。今日の総会を越えれば完成へ近づく。だが久慈へ白紙を渡せば、その音は会社から切り離され、金額だけに換えられる。
久慈が青い封筒を指で叩く。
「僕を信じて。悪いようにはしない」
暁斗は封筒を受け取った。だが委任状ではなく、用意していた限定委任状を入れる。
「信じるから、白紙にはしません」
久慈の目が細くなる。
「何が違う?」
「通常議案には賛成。特許譲渡、定款変更、取締役解任には反対。代理権はそこまでです」
「そんな条件では緊急増資ができない」
「増資と資産の持ち逃げは別でしょう」
暁斗は総会資料の差し替え履歴を画面へ映した。午前二時、久慈の秘書が資産譲渡議案を追加している。譲渡先の代表は久慈の弟だった。
会場の株主たちがざわめく。久慈は青い封筒を奪おうとしたが、暁斗は総会議長へ直接手渡した。
採決は十分で終わった。通常増資は成立。特許譲渡は否決。久慈の関連当事者取引について、第三者調査が決まる。
前の人生なら正午ちょうどに、代表解任の社内通知が配信された。
暁斗の端末が震える。
『代表取締役再任――賛成八二%』
研究室から、主任研究員が息を切らして駆け込んでくる。
「社長、試作弁が規定回数を耐えました。研究、続けていいんですよね?」
久慈が初めて、低い声でつぶやいた。
「君は、いつから僕を疑っていた?」
暁斗は青い封筒を封じた。
「会社を失った日からです」