白菜が透けるまで
牧瀬修哉は、婚約する前に結婚式場を押さえていた。
人気の会場は一年待ちだと聞き、恋人を驚かせようと思った。プロポーズの夜には指輪と、式場の仮予約票と、新婚旅行の候補表まで用意した。
彼女は指輪の箱を閉じ、「私が入る場所だけ、先に全部決まっている」と言った。修哉が冗談で空気を戻そうとすると、彼女は泣きながら首を振った。
「あなたが好きなのは、予定どおりの結婚でしょう」
修哉は、彼女が好きだと言った花の色も、苦手な余興も覚えていた。覚えたものを予定へ正しく配置すれば、愛情になると思っていた。けれど彼女が結婚後も今の仕事を続けたいと話した夜のことは、式場の空き日を調べながら聞き流していた。
断られて二日目の夜、修哉は「白雨」へ入った。客はほかにいない。麦焼酎のお湯割りを一杯頼むと、店主は鶏団子と白菜の小鍋へ火をつけた。出汁が小さく沸き、丸い鶏団子が鍋の底で揺れる。生姜の匂いを含んだ湯気が上がり、白菜の白い芯が少しずつ透明になった。
式場の仮予約は明日までなら無料で取り消せる。修哉は、もう少し待てば彼女の気持ちが変わるかもしれないと、キャンセル画面を閉じ続けていた。予約を残すことが、二人の未来を残すことのように思えた。
取消ボタンの下には「再予約時に同じ日程を確保できない場合があります」と赤字で出ていた。修哉は、その注意書きが自分たちのことまで言っているようで、何度も指を戻した。
店主が白菜を箸で持ち上げた。
「もう食べられますか」
「透けたら頃合いだ」
修哉はスマートフォンを開き、その場で式場へ取消メールを送った。指輪はまだ手元に置く。明日は、結婚を祝うつもりで休みを取っていた親友へ、延期になったのではなく断られたのだと話す。格好のつく説明を考えるのもやめる。
彼女へは連絡しない。謝れば戻ると思っているうちは、謝罪まで予定表の一部になる。
小鍋の出汁はまだ静かに沸いていた。透けた白菜を噛むと、柔らかな芯から熱があふれ、生姜の匂いが鼻の奥へ抜けた。未来は空白になったまま、その一口だけがきちんと食べ頃だった。