矢筒は空だった

傭兵団〈灰狼〉で、支援魔術師ディオルは倉庫番と呼ばれていた。

武器箱へ数字の紋を刻み、使われた分だけ色を変える。戦場では敵を一人も倒さない。

団長ザグロは城攻めの前日、彼を追放した。

「矢の数なら目で見れば分かる。戦える者へ報酬を回す」

翌朝、灰狼は城壁下へ進んだ。

第一射の合図で、弓兵百人が矢筒へ手を伸ばす。入っていたのは一人三本だけだった。

「予備を出せ!」

荷車の箱を開けると、上段には立派な矢束が並んでいた。だがその下は空。別の箱には折れた訓練矢、さらに別の箱には冬用の薪が詰まっている。

見た目の在庫だけを整えた補給係が、青ざめて弁明した。

「先月の戦で使った分は、発注済みのはずで……」

「誰が受領を確認した?」

誰も答えられない。

ディオルの紋は数を表示するだけではなかった。

矢が一本使われるたび発注札へ刻印を移し、届いた箱を古い順に前へ出していた。彼がいなくなった一日で、帳簿の数字と実物は別物になった。

城壁から敵の矢が降り、灰狼は一射も返せず退いた。

撤退後、ザグロは町中の武器商を回った。しかし城攻め前日の大量注文と知るや、矢の値段は五倍に跳ね上がる。手付金を払っても納品は三日後。その間に敵は城門を補強し、灰狼の依頼主は契約違反の罰金を請求した。初戦の敗因は剣でも勇気でもなく、空の矢筒だった。

そのころディオルは、国境砦の兵站庫を見回っていた。

彼が紋を入れ直すと、期限切れ寸前の薬草と余っていた弩矢が一目で分かった。砦司令ネサルは倉庫の鍵束を差し出す。

「不足を埋める者より、不足する前に気づく者を司令部は求めている」

期限切れ寸前の薬草は診療所へ回され、余剰の弩矢は不足していた北塔へ送られた。新たに買った物は一つもないのに、砦全体の不足表示が消えた。兵たちはディオルを倉庫番ではなく、戦わずに一個中隊を戻した男と呼んだ。

その場で兵站監督の階級章が付けられた。

夕方、ザグロから通信鳥が飛んできた。

『矢を揃えたら戻れ。副団長待遇にする』

ディオルは返書を一本の空矢筒へ入れた。

「灰狼傭兵団との補給契約は、追放命令を受けた時点で終了しています」