破れたカバーを縫う
叶芽の製本教室には、修理を待つ本が毎週届く。その中に、自分だけが直せずにいた一冊があった。遥乃から借りた長編小説。布張りのカバーは、紺色の糸で不器用に縫われている。
高校の演劇部で、二人は同じ役のオーディションを受けた。主役に選ばれたのは遥乃だった。叶芽は笑って祝ったが、部室で彼女の鞄を見た瞬間、胸の奥の悔しさが手に移った。
鞄から借りた本を出そうとして、強く引いた。カバーが金具に引っかかり、裂けた。ほんの偶然だった。けれど叶芽は、裂ける直前に自分が少しだけ力を込めたことを知っていた。
翌日、「階段で鞄を落とした」と嘘をついて返した。遥乃は破れを見つめ、何も問い詰めなかった。
「読み終わってないでしょ」
放課後、家庭科室で紺色の糸を通し、裂け目を縫った。針目は曲がり、ところどころ布がつれていた。
「直ったから、続き読んで」
その優しさが責められるより苦しかった。叶芽は本を受け取ったが、舞台の稽古からも遥乃からも距離を置いた。卒業後、二人は別々の町へ進み、本だけが叶芽の手元に残った。
叶芽は大学で保存修復を学び、古い本を直す仕事に就いた。破れた紙の繊維なら見分けられる。糊の濃さも、布の張り方も分かる。それでも遥乃の縫い目だけはほどけなかった。きれいに直せば、嘘まで見えなくなる気がした。
十年後、遥乃が地方劇団の演出家になったと知り、公演を観に行った。終演後、本を差し出し、初めて本当のことを話した。
「事故じゃなかった。悔しくて、わざとに近い力で引いた」
遥乃は縫い目を指でたどった。
「知ってた。だから、私が直した跡を残したかった」
「どうして?」
「壊されたことより、黙って消えられる方が嫌だったから」
叶芽は謝った。遥乃はすぐには許すと言わなかった。ただ、本を叶芽の手へ戻した。
「今度はあなたが直して。それから返して」
教室へ戻った叶芽は、古い糸を残したまま、裂け目の内側だけを補強した。傷をなかったことにせず、頁を先へめくれる形にする。それが彼女にできる、初めて嘘のない修理だった。