秋刀魚の肝を残さず
堂前柊馬は、借金という言葉を使わないようにしていた。
分割払い。リボ残高。来月へ回すだけ。
言い換えると、数字の輪郭が少しぼやけた。二十五歳で一人暮らし、給料日は明日。けれど家賃とカードの引き落としを足すと、口座は足りない。今月も姉へ「急な出費」と頼めば、五万円くらい貸してくれるだろう。
頼む文章を作ったまま、柊馬は居酒屋へ入った。秋限定の新秋刀魚が黒板に出ていた。店には彼しかいない。
網の上で銀色の皮が膨らみ、脂が落ちるたび、じゅっと青い煙が上がった。大根おろしではなく、酢橘だけが添えられている。焼けた魚の濃い匂いに、柑橘の皮を潰した鮮やかな香りが差し込んだ。
箸を入れると、皮がぱり、と裂けた。身は熱く柔らかい。腹の近くへ進むにつれ、肝の苦みが脂に混ざった。
「苦いところ、避けますか」
店主が聞いた。
柊馬は少し考えた。
「今日は食べます」
店主は頷いただけだった。
柊馬はスマートフォンで、三枚のカード明細を初めて同時に開いた。数字を足す。思っていたより多かった。画面を閉じたくなるたび、秋刀魚の腹を少し食べた。苦いが、食べられないほどではない。
姉への依頼文を消し、代わりに一行送る。
〈今夜、金のことで相談したい。貸してほしい話ではなく、隠していた残高を見てほしい〉
次に、カード二枚の利用停止手続きをした。明日の引き落とし不足は消えない。管理会社へ連絡し、支払日の相談もしなければならない。姉に軽蔑される可能性もある。
それでも、合計額だけはもう、ぼやけていなかった。
利用停止の完了画面は、妙にあっさりしていた。柊馬は三枚の明細を一つの表へ写し、合計の下に毎月返せる額を仮で置いた。数字は厳しかったが、少なくとも増え方は見えるようになった。表の数字を、もう隠さない。
柊馬は秋刀魚の骨を端へ寄せ、残った肝に酢橘を絞った。酸味で苦みは消えず、少し明るくなっただけだった。唇には脂の温度が残り、彼は姉からの着信を、店の外へ出る前に取った。