種ひとつぶんの遅れ
長谷部チカのタイマーだけが、他の走者より速く減っていた。
《重量加速》
所持重量一キロにつき、タイマーは一%速く進みます。
《世界樹の種》
重量:1キロ
クエストアイテム。捨てられません。
速度攻略では全裸、所持品ゼロが常識だ。チカだけは種のせいで、百秒の区間を九十九秒で走り切らなければならない。
「そのバグアイテムを破壊しろ!」
できない。説明には《捨てられません》とある。
先行組は道中の薬や食料まで投げ捨て、身軽にゴールへ向かう。落とされた品が谷を埋め、後ろを歩くNPC避難民の道を塞いでいく。
チカは一秒の遅れを抱えたまま、種を胸に走った。
ゴールは枯れた大地の中央にある。上位組が次々到着し、記録を出す。だが転送門は開かない。
台座に穴が一つある。
《完走報酬を投入してください》
上位組は何も持っていない。速さのため、すべて捨てたからだ。
チカは残り時間ゼロ寸前で滑り込み、世界樹の種を穴へ落とした。
地面が割れ、根がコース全体へ伸びる。捨てられた薬や食料を拾い上げ、避難民のいる道へ運ぶ。枯れたゴールには森が生まれ、転送門ではなく新しい町が開いた。
チカの記録は最下位。一秒ぶん遅い。
《最速記録更新なし》
《世界生成素材を受領》
森が育つにつれ、チカのタイマーは通常速度へ戻った。種の重量表示がゼロになったからではない。根を下ろした一キロが、もはや彼女一人の所持品ではなく世界の一部になったためだ。
上位組は捨てた装備を拾いに戻ったが、いくつかは避難民が使っていた。返せと争う者もいれば、用途を聞いて譲る者もいる。
チカの空いた所持枠には、町の子供から小さな葉が一枚渡された。重量は計測不能と表示された。
上位走者の一人は、自分が捨てた水袋を避難民が使っているのを見て、返却を求めず井戸掘りを手伝った。
記録盤の一秒差は消えなかった。チカは修正しない。その遅れこそ、種を捨てずに走った証明であり、森が生まれるまで世界が待った時間だった。
《タイムアタック完了――捨てられない一キロは、ゴール後にも世界を続けるため持ち込むべき最小の未来でした》