空席の校長先生

校長室には、初代校長の油絵が掛かっていた。

立派な髭と厳しい目で、訪れる人を見下ろしている。

新しい校長は、その絵が苦手だった。

着任して三か月、保護者対応、予算不足、教員の欠勤。

判断を間違えるたび、絵の初代校長に「お前には無理だ」と言われている気がした。

ある夕方、校長が疲れて椅子から立つと、油絵が話した。

「やっと空いた」

初代校長は、校長の椅子に誰も座っていないときだけ話した。

「何がですか」

「その椅子。座っていると、話を聞かない顔になる」

「私は話を聞いています」

「今も座ろうとした」

校長は腹を立て、椅子を壁際へ押した。

絵は満足そうに髭を撫でた。

初代校長が話したのは、教育理念ではなかった。

開校初日に鍵をなくしたこと。

給食の鍋を倒し、児童と床を拭いたこと。

用務員へ名前を間違えて呼び続け、半年後にようやく謝ったこと。

「もっと立派な話はないんですか」

「立派な話は、後の人が勝手に作った」

校長室の棚には、初代校長の功績をまとめた冊子がある。

そこには失敗も、誰に助けられたかも書かれていなかった。

翌日、校長は会議を椅子なしで開いた。

教員たちは戸惑ったが、机を囲まず立って話すと、いつも黙る若い教員が、支援の必要な児童について意見を言った。

校長は結論を急がず、最後まで聞いた。

放課後、清掃員が校長室へ入った。

校長が椅子を勧め、自分は床へしゃがんだ。

清掃員は、廊下で泣いている児童を毎朝見かけると教えてくれた。

校長の机へ届かなかった話だった。

初代校長は何も言わなかった。

椅子に清掃員が座っていたからだ。

年度末、校長は学校案内の歴史欄を書き直した。

初代校長の功績の下に、

「多くの失敗を、児童と職員に助けられた」

と加えた。

自分の挨拶文にも、今年間違えたことを一つ書いた。

絵の初代校長が最後に話したのは、退勤前だった。

校長が椅子を机へ戻し、立ったまま絵を見上げると、

「少しは座れ。疲れるぞ」

と言った。

翌朝から、絵は普通の油絵に戻った。

校長は椅子へ座る。

ただし誰かが部屋へ来たら、一度立つようになった。

肩書きではなく、同じ高さで話を聞くために。