窓のない面談室
倉橋伊織の内定通知には、「ブランド戦略マネージャー候補」と書かれていた。
今の肩書きは販売促進担当。候補の二文字を差し引いても、名刺に載れば友人へ説明しやすい。年収は百万円上がり、オフィスは都心の高層ビルにある。
けれど、最終面談をした部屋には窓がなかった。
窓がないこと自体が問題ではない。伊織が気になったのは、面談中に三度、社員がノックもせず入ってきたことだった。上司らしい男性はそのたび資料を投げるように置き、面接官は謝らず話を続けた。壁の時計だけが、誰も止まれない速さで進んでいた。
帰り道、伊織は二枚の写真を撮った。一枚は高層ビルの外観。ガラスに夕焼けが映り、未来の自分まで格好よく見えた。もう一枚は、駅前の小さなベーカリー。面談後、そこで温かいパンを食べ、ようやく肩の力が抜けた。
内定承諾の締切日、写真を左右に表示する。建物を選ぶわけでも、パン屋を選ぶわけでもない。それでも身体は、どちらの未来で息をしていたかを知っていた。
二十九歳でマネージャー候補。断れば、次はないかもしれない。「あのとき行っていれば」と後悔する自分も容易に想像できた。
面談を終えた夜、伊織の肩には固い痛みが残っていた。緊張しただけかもしれない。期待が大きいから欠点を探しているだけかもしれない。そうやって身体の反応まで疑う癖が、今の職場で無理を続けた理由の一つだった。
伊織は採用担当へ電話し、面談室で見た働き方について尋ねた。
「繁忙期はああいう雰囲気です。成長したい方には刺激的ですよ」
その言葉で迷いが消えたわけではない。ただ、違和感を未来の自分へ押しつける理由がなくなった。
伊織は辞退を伝えた。担当者は肩書きと年収をもう一度口にしたが、返事は変えなかった。
通話後、高層ビルの写真を削除しようとして、やめた。断った未来を醜くしておけば楽になる。でも、本当に魅力的だったから迷ったのだ。
伊織は二枚とも残し、ベーカリーの写真を次の面接日の待受にした。華やかな機会を捨てたのではなく、窓のない部屋で感じた自分の呼吸を、判断材料として引き受けた。