竜血の匂いを落とす蒸し室

竜狩りのザイフが通ると、街の結界石が赤く染まった。

本人が魔物だからではない。三日前に倒した火竜の血が、皮膚と髪と鎧の継ぎ目へ染み込み、どれほど洗っても「竜」と判定されるのだ。門兵に槍を向けられ、食堂では皿を伏せられ、宿からは壁が焦げると追い出された。

最後に残った《炭樹宿》でも、ザイフは入口に立ったまま言った。

「裏庭でいい。朝まで街の外へ出ずに済めば」

宿主ドレアは鼻を近づけず、蒸し室の札を渡した。

「一泊ではなく、一回の《勝ち臭落とし》を売っています」

石造りの小部屋には、炭樹の板椅子と、拳大の黒い蒸気石が一つ。ザイフが腰を下ろすと、ドレアは石へ水を一杯だけ注いだ。

白い蒸気が立つ。

熱くはない。だが蒸気が肌を撫でるたび、赤黒い匂いが糸のように剥がれ、壁の炭板へ吸われていく。ザイフの周囲で見えない翼が暴れ、咆哮の残響が天井を揺らした。

「討伐の証まで消えるのか」

「勲功は残ります。落ちるのは、あなたを獲物に見せる匂いだけです」

ザイフは握っていた剣から手を離した。

蒸気石の表面には、火竜の鱗に似た赤い膜が張った。ザイフが触れようとすると、ドレアは炭板で包んだ。勝利の記憶まで捨てる必要はない。ただ、街へ持ち込まなくてよい残り香だけを、宿が引き受けたのだ。

夜明け前、蒸気が晴れた。髪からは炭と杉の匂いがし、皮膚の赤い筋も消えている。入口脇の結界石へ手をかざすと、石は青いままだった。

三日ぶりに、街が彼を人として認めた。軒下の小鳥さえ逃げず、濡れた石畳の上で羽を整えている。ザイフはそれを見て、ようやく剣帯から力を抜いた。

ザイフは無言で大金貨を置いた。

「料金は銀貨三枚です」

「次の竜も狩る。残りは、その帰りの分だ」

ドレアが釣りを返そうとする前に、彼は外套を翻して通りへ出た。誰も叫ばない。警鐘も鳴らない。ザイフは一度だけ立ち止まり、普通の朝の匂いを深く吸った。

その背中が角を曲がった直後、炭樹宿のベルが鳴った。今度、結界石は静かな青で客を迎えていた。