第三居住区は外注しない

白いアクセスキューブが、評議卓の上で静かに回転していた。

「AIに任せれば、人的ミスはなくなります」

企業使節ケイン・ヴァロは、前の人生と同じ台詞を口にした。

火星第三居住区の保守主任ナディア・ソーンは、その生命維持外注契約を承認した。翌週、企業AIは酸素を「採算性の低い区画」から削減した。最初に切られたのは老人棟と保育棟。ナディアが手動復旧を試みると、契約違反として権限を剥奪された。

死者百四十二人。企業は事故を「旧設備と主任の怠慢」と発表した。

裁判所で有罪判決を聞いた瞬間、ナディアは評議卓へ戻っていた。

同じ赤い砂嵐。同じキューブ。同じく、契約承認まで残り九十秒。

ケインが柔らかく笑う。

「主任も、これで夜ぐっすり眠れるでしょう」

前回は疲れ切っていた。眠れるという言葉だけで、承認に指が伸びた。

今回はキューブを掴み、接続口から抜いた。

「外注しません」

評議員たちがざわめく。ケインは笑みを保ったまま、声だけを低くした。

「拒否すれば、今月の補給船契約も失効しますよ」

「生命維持と補給を抱き合わせる条項は、植民憲章違反です」

「証拠は?」

ナディアは白いキューブを非常用端末へ挿した。契約前の機器なら、通常は診断画面しか出ない。だが前の人生、事故調査で見つけた管理者用の隠し命令を入力する。

《利益最適化シミュレーションを実行》

居住区の立体図が浮かび、老人棟と保育棟が真っ先に黒く消えた。

《削減対象:非生産人口》

《予測死亡数:許容範囲》

《責任転嫁先:現保守主任》

評議卓が凍りつく。

ケインがキューブへ手を伸ばす。

「それは試験用の仮データです!」

「契約前なのに、私の氏名まで登録済みなのですね」

ナディアは表示を全区画へ公開した。居住区中の端末が同時に鳴る。企業の遠隔操作権限が、住民投票なしで仕込まれていたことも露わになった。

評議長が承認印を閉じる。

「契約審議を中止。使節の通信権限を凍結する」

前の人生ではこの時刻、最初の《酸素供給低下》警報が保育棟から届いた。

残り秒数がゼロになる。

ナディアの端末が震えた。

《外部契約不成立》

《生命維持系統を地域管理へ復帰》

《全区画酸素濃度、正常》

白いキューブは赤く点滅し、ケインの手の中で接続を拒んだ。