聞こえる字幕
配信ドラマの納品二時間前、久保井里都は字幕データから角括弧がすべて消されていることに気づいた。
角括弧の中には、〈鍵の回る音〉〈遠くで警報〉〈息をのむ〉といった音の情報が入っていた。耳で聞こえにくい視聴者にも場面が分かるよう、里都が一話ずつ付けたものだ。
「文字数が多いから削った」
制作責任者は言った。
「台詞が読めれば筋は分かる。アクセシビリティは大事だけど、納品規格が先」
今回の話では、画面外で鍵が回る音が犯人の侵入を知らせ、主人公が振り返る理由になる。音の字幕がなければ、突然怯えたように見える。後輩は短縮版を上書きしようとしていた。
「元データは残して。削る場所を変えるから」
里都は台詞を一行ずつ見直した。映像と同じ内容を繰り返す言葉、名前を呼ぶだけの部分、表示時間に対して長すぎる言い回しを縮めた。話者名は色分けせず短い記号にし、音の情報は場面の前後へずらして規格内へ収めた。主人公が窓を見るだけの三秒には〈遠くで警報〉を置き、鍵の音は台詞と重ならない一拍前へ移した。字数を減らしても、意味まで薄くしない。後輩と二人で停止と再生を繰り返すうち、字幕は画面を塞ぐ説明ではなく、見えない音の入口になった。
責任者は修正版を見て言った。
「そこまで手をかけても、何人が使うか分からないでしょう」
「使う人数が見えないのは、消していい理由になりません」
里都は、規格を超えずに必要な音を残した字幕を再生した。鍵が回る。主人公が振り返る。警報が遠くで鳴り、画面外の危険が文字でも近づいてくる。後輩はタイミング表を見て、「次から、この削り方を先に試します」と言った。
里都は納品データと、音字幕を削除しないための短縮例をまとめて提出した。送信時刻は締切の十一分前だった。
画面を閉じると、新設される字幕品質チームのリーダー打診が届いていた。条件欄には、納期だけでなく利用者検証も工程へ入れる、とある。
里都は〈引き受けます〉と返信した。