蚊取り線香の向こう側
倉石優雨と南雲佐知は、夏の夜になると優雨の実家の縁側へ座る。
花火を見るでもなく、祭りへ行くでもない。冷蔵庫にあるものを持ち出し、蚊取り線香を一つ置くだけだ。
その夜は、半分に切った西瓜と麦茶があった。
佐知はスプーンで西瓜の中央から掘り、優雨は端から薄く切る。
「食べ方に性格出る」
「優雨は慎重」
「佐知は土地開発」
「中心部から着手」
二人の間で、緑の器が少しずつ空になった。
庭では、昼の熱を残した土から草の匂いが上がっている。
蚊取り線香の煙が低く流れ、佐知の足首を避けるように曲がった。
「これ、本当に蚊に効いてる?」
「私には効いてる。眠くなる」
「人間用じゃない」
話題は、近所のコンビニの店員が髪を切ったこと、子どもの頃に隣の空き地で飼ったつもりになっていたバッタのこと、優雨の母が冷蔵庫へ何でも日付を書くことへ移った。
「西瓜にも書いてあったよ。八月三日」
「誕生日みたい」
「今日、八日」
「五歳」
「五日」
佐知は転職を考えているらしかった。
けれど仕事内容の話より、「新しい会社の近くにうまい蕎麦屋があるらしい」という情報を熱心に話した。
「そこが決め手?」
「毎日の昼は大事」
「もっと条件あるでしょう」
「駅から近い。蕎麦屋も近い」
「二条件とも距離」
優雨は笑い、麦茶を足した。
縁側の奥で、古い扇風機が首を振る。
風が来るたび蚊取り線香の匂いが濃くなり、次の瞬間には庭へ逃げた。
二人は黙り、遠くの踏切と、虫の声を聞いた。
沈黙が長くなっても、何か話さなければという焦りはない。幼馴染との間には、会話の休憩所がいくつもあった。
西瓜の底に、赤い部分が少し残った。
「最後、どうぞ」
「佐知が掘った穴でしょう」
「責任取って」
「じゃあ半分」
二人は小さな一口を分けた。
夜十時、佐知がサンダルを履く。
「来週も?」
「暑かったら」
「涼しかったら?」
「それはそれで」
約束になっているようで、なっていない返事だった。
優雨は縁側へ戻り、燃え残った線香を見た。
渦巻きは半分まで灰になり、先端だけが赤い。
庭には西瓜の青い皮と煙、冷えた麦茶の匂いが残っていた。
何もしない夜は、夏を大きく使わず、二人分だけ静かに涼しくしてくれた。