複合機から出たファンレター

黒木晴香は、広告会社で文章を書く仕事をしていた。商品の魅力なら百字で言えるのに、自分が好きな男性アイドル〈青群〉の碧へ送る言葉は、何度書いても照れくさかった。

昼休み、ようやく完成したファンレターを自席から印刷した。そこには、転職直後に毎朝聴いた曲のこと、母の手術を待つ廊下で碧のラジオに笑わせてもらったことを書いた。広告コピーなら削るはずの感情を、三枚に残した。封筒へ入れるつもりで複合機へ向かうと、トナー切れの表示が出ている。再開を待っているうちに電話へ呼ばれ、すっかり忘れた。

午後、複合機の前で制作部の人たちが笑っていた。

「誰か、碧くんに人生救われてるらしいよ」

晴香の血の気が引く。三枚のうち一枚目だけが排紙トレイにあり、冒頭の〈碧くんへ〉が見えていた。

そこへ校正担当の榊原要が来て、紙を裏返した。

「私信を回し読みするのは、誤植より悪いです」

要は残りの二枚も回収し、クリアファイルへ入れて晴香の机に置いた。差出人を確認するような視線は向けない。

夕方、晴香は礼を言った。

「読んでません」と要は先に言った。「ただ、一枚目の『続けてくれてありがとう』だけ見えました。いい文章です」

晴香は恥ずかしさで消えたくなったが、仕事で何百人に読まれるコピーを書く自分が、一人へ本気で書いた文章だけを恥じるのは変だと思った。

翌日の昼休み、晴香は複合機利用表に自分の名前を書いた。私物印刷は禁止されていない。今度はその場を離れず、三枚が出るのを待つ。

要が通りかかったので、晴香は紙を隠さず言った。

「昨日の、誤字を直しました」

「校正は頼まれてません」

「はい。これは私の言葉なので」

封筒へ入れ、宛名に〈青群 碧さま〉と書く。仕事用の整った字ではなく、少し震えた自分の字だった。晴香はそれを、誰にも見つからない鞄の底ではなく、退勤時に忘れないよう机の中央へ置いた。