解答欄の筆圧
鬼頭里緒から「英語の宿題、見せて」と連絡が来たのは、八月二十八日の朝だった。
いつもなら断った。けれど里緒は一学期、私が休んだ日のノートを全部貸してくれた。恩返しだと思い、学校の自習教室で待ち合わせた。
里緒は四十分遅れて来た。髪は半乾きで、シャツの袖に小麦粉のような白い汚れがついている。謝りながら、私の問題集を机の中央へ引き寄せた。
「丸写しはだめだからね」
「分かってる。答え合わせだけ」
そう言いながら、里緒は最初のページから書き始めた。鉛筆を強く握り、紙がへこむほどの筆圧だった。字はいつもの半分の大きさで、何度も同じ単語を間違える。
「寝てないの?」
里緒の手が止まる。
夏休みに入ってすぐ、母親が入院した。父親は夜勤。里緒は朝から家事をし、二人の弟に昼食を作り、夕方から家のパン屋を手伝っている。宿題を開くころには、たいてい日付が変わっているという。
「言えばよかったのに」
「何を。宿題が減るわけじゃない」
「手伝えること」
里緒は笑わなかった。
「かわいそうって思われるの、嫌なんだよね」
教室には私たちしかいなかった。窓の外の蝉が、答えを急かすように鳴いている。私は自分の問題集を閉じた。
「じゃあ、かわいそうじゃない方法にする」
黒板に英単語を十個書き、里緒へチョークを投げる。
「交互に問題出す。間違えた方がジュース」
「それ、手伝いじゃん」
「勝負」
里緒はようやく笑った。
午後いっぱい、私たちは問題を出し合った。里緒は三単現を間違え、私は不規則動詞で負けた。自販機のジュースは二本ずつ。解答欄は埋まったが、答えは私のものと少しずつ違っていた。
帰り際、里緒が最初に丸写ししたページを消し始めた。強く書いた字は跡だけ残る。
「そこまでしなくても」
「自分でやった方が、あとで見ても分かるから」
消しゴムのかすを払い、薄い跡の上から自分の答えを書く。今度の筆圧は、少しだけ軽かった。
九月の提出日に、先生は里緒の問題集をぱらぱらめくり、「頑張ったな」と言った。
私には、答えよりも、その紙に残ったへこみの方が、里緒の夏休みを正確に書いているように見えた。