試験時間を買う先生

円城寺澄夏の学校では、試験時間を寿命で延長できた。基本は四十分。追加一分につき人生一日。富裕層の生徒は十分、二十分と買い、最後まで答案を見直した。残高の少ない家庭の子は、途中でも鉛筆を置いた。

学校側は公平だと言った。全員に同じ購入機会がある。進路AIも、時間を投資できる家庭は将来計画が優秀だと評価した。

澄夏のクラスに、計算は遅いが考え方の鋭い生徒がいた。毎回、最後の問題へ届く直前に終了音が鳴る。ある日、生徒は白紙の裏へ書いた。

《先生、僕は頭が悪いんじゃなくて、家が短いんですか》

次の試験で、澄夏は教員用の「緊急配慮枠」を使い、クラス全員へ三分ずつ配った。費用は担任の口座から引かれた。四十人で百二十日。生徒たちは初めて同じ終了音まで書き続けた。

一度だけのつもりだった。しかし進学試験、資格試験、面接練習にも時間差があった。澄夏は少しずつ自分の寿命を配った。五年後、三十五歳の彼女の髪は白く、身体年齢は五十を超えていた。監査AIが異常を検知し、学校は彼女を停職にした。

「教師の感情的介入は、自己責任教育を損なう」

記者会見で校長はそう説明した。翌日、卒業生たちが学校の前に集まった。弁護士になった者、整備士になった者、子育て中の者。彼らは一人一日ずつ、自分の時間を澄夏へ返そうとした。だが制度上、教育目的で使った時間は贈与返還できなかった。

代わりに彼らは訴訟を起こした。争点は、時間を買えることではなく、買えない者を能力不足と評価してよいかだった。判決まで三年かかった。延長購入は廃止され、試験は複数日に分けられた。

復職した澄夏は、新しい教室で終了音を聞いた。全員が同時に鉛筆を置く。失った年月は戻らない。けれど誰かの家の残高で、考える長さが決まらない音を、彼女は静かに聞いた。

最初に裏へ書いた生徒は、判決後の試験問題を作る側になった。問題冊子の表紙には《速さは能力の一部であり、全部ではない》と記した。澄夏はその文を読んで笑った。彼女が配った三分は返らなかったが、制度の中で何度も使われる時間になった。