赤い灯が消えるまで

 窓の向こうで、鉄塔の赤い灯が三秒ごとに明滅していた。

 舟木はその間隔に呼吸を合わせようとして、すぐやめた。点く。消える。暗い空。点く。消える。部屋ではエアコンの送風口が左右へ動き、雨上がりの湿った空気を押している。

 今夜、舟木はマッチングアプリを削除した。

 誰かと会って嫌なことがあったわけではない。むしろ何も起こらなかった。プロフィールを読み、短い会話をし、日程を決める前に返信が途切れる。それを繰り返すうち、眠る前の時間まで自己紹介になった。

 アプリのない画面は静かだった。けれど静かになると、これで本当に誰とも会わない日々になるのではないかと不安が出てきた。

 赤い灯が点く。消える。空調の羽根が右へ、左へ戻る。

 午前一時半、道路へ一台のタクシーが止まった。後部座席から女性が降り、傘をたたみながら料金を払う。運転手はすぐ発車せず、女性がマンションの入口へ入り、ガラス扉の向こうで手を上げるまで待っていた。

 タクシーのハザードが二度点滅した。赤い尾灯が角を曲がり、女性の姿も見えなくなった。

 送った相手も、受け取った相手も舟木ではない。知らない人が安全に扉へ入った、それだけの夜だった。舟木はそこへ恋の意味を足さなかった。

 運転手が待った数秒も、女性が上げた手も、関係の名前を知らなくても成立していた。世界には、恋愛へ続かない気遣いがいくつもある。アプリを消した夜に見えたのがその程度のやり取りだったことを、舟木はむしろありがたく思った。

 鉄塔の灯がまた点く。消える。

 誰かと出会う手段を一つ消しても、世界との通路が全部閉じるわけではない。必要になれば、また入れ直せる。必要にならない夜もある。

 舟木は窓を指一本ぶん開けた。濡れた道路の匂いと、遠いタイヤの音が入る。エアコンを止めると、羽根は中央で静まった。

 削除したはずの場所へ、親指が何度か無意識に伸びた。そこには壁紙の暗い海しかない。空いた一角は、誰にも見つけてもらえない穴ではなく、今夜もう自己紹介をしなくていい余白だった。舟木はホーム画面の並び替えもせず、その不揃いな空白を残した。

 赤い灯は三秒ごとに続いている。舟木はカーテンを閉めきらず、布団へ戻った。誰かに選ばれる可能性を点灯させておかなくても、今夜くらいは一人で暗くなれると思った。