赤いON AIR

生放送開始まで、あと十分。

凌介は地方FM局の狭いスタジオで、ギターケースを椅子に立てかけた。向かいのミキサー席には琴葉がいる。大学時代、二人で深夜番組を作っていた。放送後は一本のイヤホンを片耳ずつ使い、始発まで新曲を聴いた。凌介が突然上京して以来、会うのは九年ぶりだった。今も机の引き出しには、片側だけ音の出ないそのイヤホンが残っている。

「新曲の紹介だけでいいから」

「昔話はしない?」

「電波に乗せる価値がない」

琴葉は冷たく言い、古い共用パソコンを立ち上げた。局の閉鎖に伴い、過去データを整理しているらしい。メールソフトを開くと、未送信の下書きが一件表示された。

件名は〈琴葉へ〉。差出人は凌介。

〈東京へ行く。誘われたのは俺だけだった。君に一緒に来てと言えば、番組も家族も捨てさせる。だから嫌われて出ていく。帰ってきたら、まだ怒っていてほしい〉

琴葉は読み終え、赤いON AIRランプを見た。

「これ、あなた?」

「書いた。送ったと思ってた」

「局のアドレス、外部送信できなかった時期」

「知らなかった」

開始まで七分。

九年前、凌介は番組中に上京を発表し、琴葉には事前に何も言わなかった。彼女は笑って送り出し、その日から一度も連絡しなかった。凌介は、怒りさえ届かないほど嫌われたと思った。

「帰ってきたよ」と凌介が言う。

「九年遅れで」

「まだ怒ってる?」

「怒る相手として保存しておくには、長すぎた」

琴葉は薬指の指輪を回した。凌介は視線を落とす。

「送られてたら、東京へ行ったと思う?」

「行った」

「即答なんだ」

「だから送らなくて正解だった、と言いたい?」

「言えない。選ばせてほしかった」

ディレクターがガラス越しに五分前の合図を出した。

凌介は下書きを自分の端末へ転送しようとしたが、琴葉が削除キーを押した。確認画面が出る。

「昔の私に届く曲を、今から歌って」

「今の君には?」

「聴くかどうかは、私が選ぶ」

琴葉は削除を確定し、マイクのフェーダーに手を置いた。

赤いランプが点灯する。凌介は椅子に座り、九年遅れのイントロを弾いた。

琴葉は無言でフェーダーを上げた。