赤土の地主

海辺のリゾート建設説明会に、泥のついた長靴の男が入ってきた。夷隅岳志。会場の後ろに座り、配布された完成予想図をじっと見ている。

開発会社の責任者は、住民質問を三分で切り上げた。

男が手を挙げる。

「工事車両は、岬へ続く赤土の道を通る計画ですか」

「公道を使います。漁への影響はありません」

「その道は公道ではない。満潮時の避難路でもあります」

責任者は長靴を見て笑った。

「昔から使っているから自分の土地だと思う方は多いんです。登記はこちらで確認済みです」

夷隅は図面の境界線を指でなぞった。

会場の外では、工事で井戸が濁ると心配する住民が待っていた。責任者は個別補償で黙らせればよいと部下へ囁き、説明資料から土砂流出の予測図を外した。夷隅は赤土を小瓶に入れて持参し、雨水を注ぐと海と同じ色に濁ることを示した。責任者は実験を子どもだましと笑い、瓶を机の下へ追いやった。

夷隅は住民の反対署名を持ってこなかった。「土地は多数決で守るものではない」と言い、代わりに一世紀分の管理費領収書を机へ置いた。責任者は中身を開かなかった。岬側の一画だけ、薄い灰色で塗られている。

「そこを通らなければ、重機は入れませんね」

「必要なら収用の手続きを取ります。個人の感情で地域の発展は止められない」

私は町の測量士で、古い地籍図に違和感を覚えた。夷隅に尋ねると、彼は明治期の土地台帳の写しを見せた。名義は個人ではなく、『岬浜共有林信託』。受益者は町の全世帯だった。

翌日、契約調印式に銀行と県の担当者が集まった。責任者は融資実行を急かしたが、司法書士が一枚の登記事項証明書を机に置いた。

「進入路、取水地、排水予定地のすべては共有林信託の所有です。代表受託者の同意がなければ、担保設定も工事もできません」

責任者が代表者名を読もうとしたとき、長靴の男が実印を取り出した。

司法書士が頭を下げる。

「夷隅岳志理事長。全住民を代表する、唯一の署名権者です」

夷隅は完成予想図を裏返した。

「では、海を売らない計画から話し直しましょう」