軌道砲は一人ぶん外れる
月面第九試験場の記録は、司令官フェザンの命令から始まる。
【対象ナユタを中央座標に固定】
【回避運動を禁ずる】
ナユタは宇宙服も着ず、真空の台座で両腕を下ろしていた。百年前の難破船から回収されたまま、老いも呼吸も必要としない人物だ。
第一射は超高速の金属弾だった。演算機は胸部への直撃を保証したが、弾丸は対象の直前で〇・〇〇〇一度だけ偏向し、背後の岩山を消した。
映像上、ナユタの座標は一桁も変わっていない。
「重力ノイズを除去。軌道砲を使え」
フェザンは失敗を認めず、艦隊用主砲《日輪》へ出力最大を命じた。月面百キロを蒸発させる光なら、偏向できる空間そのものが残らない。
光柱が試験場へ落ちた。映像は白く焼け、通信機に砂嵐だけが満ちる。
蒸気と塵が薄れたとき、ナユタは両腕を下ろした同じ姿勢で立っていた。周囲は巨大なクレーターになったのに、台座だけが細い柱として残っている。
観測班は破壊地図へ照準記録を重ねた。光は確かに中央を通過している。ところが損害だけが、人型の空白を残して周囲へ移されていた。ナユタの影まで砲撃前と同じ向きで、宇宙塵一粒すら付着していない。複数の独立演算機が同じ矛盾を返し、艦橋から会話が消えた。フェザンは再射撃を命じようとしたが、砲術士たちの手は動かなかった。照準を修正する箇所が存在せず、出力を上げても外れ方だけが正確になると分かってしまった。
司令官が異常に気づいたのは、主砲が外れたのではないと演算機が報告したときだ。
【照準誤差:0】
【対象移動:0】
【命中事象:未発生】
「三つは同時に成立しない」
フェザンが叫ぶと、ナユタは真空越しに直接、艦橋の通信へ声を送った。
「私は宇宙で最初に外れた弾に当たって死ねませんでした」
彼の足元には、そのときの古い弾丸が護符のように置かれている。
「それ以来、宇宙は私へ命中する計算だけを拒みます」
演算機は防御力を算出しようと全艦の処理能力を使い切り、最終報告を一行に縮めた。
【防御値:測定不能】