野営帳は眠らない
イネラは、冒険より記録に夢中だと思われていた。
食べた茸の色、見た夢、靴底についた泥、朝起きたときの方角。野営のたび帳面を開き、仲間が忘れたことまで書き留める。
敵を倒さない記録係の貢献は1%。隊長グロウは、重い帳面を焚き火へ放ろうとした。
「昨日を書いても、明日の敵は倒せない」
イネラは帳面を奪い返し、隊を去った。
翌日、残った仲間は白い霧の森へ入った。まっすぐ進んだはずなのに、同じ倒木へ戻る。印を刻んでも消え、相談して決めた道も、歩き出す頃には誰も覚えていない。
グロウは仲間が命令を聞かないと怒鳴った。仲間も、命令された記憶がないと怒鳴り返す。やがて自分たちが何を探しに来たのかさえ曖昧になった。
森の外で別の依頼を待っていたイネラは、戻ってこない隊を気にしないふりをした。だが帳面の背が震えている。霧の中で書いた頁だけが、文字を消されまいと熱を持っていた。
彼女は森へ入り、帳面を読まなかった。頁の端に切った形を指でなぞる。霧は文字も記憶も奪うが、紙の凹みまでは消せない。
丸い切れ込みは川、尖った切れ込みは危険、長い裂け目は帰路。イネラは忘れるたび指で読み直し、仲間の手首へ同じ形を結んだ。
霧を抜けた仲間たちは、帳面の頁をめくった。自分たちが同じ口論を繰り返し、同じ倒木で食事をし、同じ方角を選んでいた跡が残っている。イネラだけが、それを笑わず次の判断へ変えていた。経験を積んだつもりの隊は、彼女がいなければ毎朝すべてを失っていた。
グロウは、自分の指揮で帰還したと言った。イネラは帳面を閉じる。
「では、依頼の目的を言えますか」
彼は答えられなかった。
記録腕輪が文字だけでなく、忘却前に残された判断を読み込んだ。避けた毒茸、戻らなかった分岐、失われた会話。仲間の経験は、イネラが記さなければ毎回消えていた。
焚き火のそばへ新しい椅子が置かれ、隊長席の名札が外れる。
《探索貢献・真正算定》
申告値:1% → 真値:99%
働き順位:首位 イネラ
役割更新:記録係 → 探索判断者
旧隊長グロウ:記録照合対象