鍋底の水餃子
和泉芽吹は、水餃子鍋の底へ沈んだ一個を、わざとすくわなかった。
友人の小さな映像会社で働き始めて二年。今夜の鍋会は、短編作品が配信賞へ選ばれた祝いだ。監督をした友人は、スタッフ全員の名前を順番に挙げた。芽吹の名前もあった。
けれど受賞作の核になった企画書を書いたのは芽吹だ。最初の会議で却下されたあと、友人が少し形を変えて監督案として提出した。
問いただせば、会社も友情も壊れる。そう思って黙ってきた。
会社を作る前、二人は同じワンルームで徹夜し、一本の作品を交代で編集した。どちらの案か数えなかった時間が長すぎて、今回だけ権利を主張することが狭量に思えた。だが配信ページから自分の名が消えた夜、眠れなかった。
鍋からは韮とにんにくの香りが立った。水餃子の皮はつるりと滑り、噛むと端だけがもちもちと歯へ残った。芽吹は一個目を丸ごと食べ、二個目は半分に割った。
中の肉汁が皿へ流れた。包んでしまえば同じ形に見えるが、割れば具の違いは分かる。
友人が鍋底へお玉を入れ、最後の一個を探した。芽吹はその手を止めた。
「それ、私が包んだ印がある」
水餃子のひだは、ほかより一つ多い。料理の話に聞こえる短い言葉だった。それでも、鍋を囲む全員が箸を止めた。包み方の話ではないと分かったのだ。
芽吹は鞄から企画書の初稿を出し、鍋の横へ置いた。作成日時と自分の名前が印刷されている。友人は紙と鍋底を交互に見た。
言い訳が始まる前に、芽吹は半分残した餃子を皿の中央へ置いた。
「全部返してとは言わない。次の配信ページに、企画として名前を出して」
友人は黙ってスマートフォンを開き、制作会社の担当者へ修正依頼を打った。送信画面を芽吹に見せてから、鍋底の一個をお玉ですくう。
ひだの多い水餃子は、芽吹の皿へ入れられた。
芽吹はそれを食べず、保存容器へ移した。証拠を飲み込む癖を、今夜でやめるためだった。
帰宅後、配信ページには〈原案・和泉芽吹〉の文字が加わった。冷蔵庫の水餃子は一個のまま、明日の朝まで形を保っていた。