閉まった搭乗口
空港の出発カウンターで、夷川龍門はスーツケースを倒し、係員へ怒鳴った。
「飛行機はまだ滑走路にいるだろ。ドアを開けさせろ。俺は上級会員だぞ」
チェックイン締切は三十分前に過ぎ、搭乗口も閉鎖済みだった。係員が次便を案内すると、夷川はスマートフォンを突きつけた。
「会議に遅れた損害を払え。ビジネスクラスへ無料変更しろ。断るなら、お前の名前を出して炎上させる」
隣のカウンターにいた、ラグビー選手のような体格の男が振り向いた。錦戸原静真。黒いジャケットの胸元に、航空法務研究会のピンがある。
「係員の説明は正しいですよ」
夷川が睨む。
「部外者は黙ってろ」
「航空会社の顧問弁護士です。今日は私用で搭乗します」
錦戸原は出発案内板を指した。
「搭乗口を再開すれば、保安検査と出発手順をやり直し、全乗客を遅らせます。あなた一人の都合で、安全手順を省く権限は誰にもありません」
夷川は上級会員画面を見せた。ところが係員が番号を確認すると、登録名義は別人だった。取引先社長の会員証をスクリーンショットしたものだった。
「借りただけだ。細かいことを言うな」
さらに空港カメラには、夷川が締切前からラウンジで酒を飲み、呼び出し放送を三度無視する姿が映っていた。遅刻の原因は混雑でも係員でもない。
夷川はカウンターを乗り越えようとし、「滑走路へ行く」と叫んだ。
錦戸原の声が低くなる。
「それ以上進めば、搭乗のお願いではなく保安区域への侵入です。今の威迫的な発言も、運送約款に基づく搭乗拒否の理由になります」
空港警備員が到着し、夷川をカウンターから離した。航空会社は次便への変更も断り、当日の全便で搭乗を受け付けないと通知した。会員証の不正使用についても、名義人と勤務先へ確認するという。
夷川は急に係員へ謝り、せめて払い戻しを求めた。
係員は、購入した割引運賃の条件どおり、税金部分のみ返金できると淡々と説明した。
搭乗口の表示が〈出発済み〉へ変わり、夷川の予約状態が〈保安上の理由により取消〉と確定した瞬間、飛行機を戻せと怒鳴った男だけが、空港から一歩も先へ進めなくなった。