雪解けバスは来ない
雪で二十分遅れた最終バスを、里槻は古い停留所で待っていた。
ベンチの端に座った男が帽子を上げる。
「東京はどう?」
泰河だった。
「普通」
七年ぶりの再会にしては、あまりに短い答えだった。
里槻の足元には、大きなスーツケースがある。中身は冬服だけではない。会社の社員証を返し、借りていた部屋も引き払ってきた。東京へ戻る予定はなかった。
泰河と別れたのは、上京した年だった。彼は地元で家業を継ぎ、里槻は広告会社へ入った。遠距離がつらかったのではない。泰河に「帰ってくれば」と言われるたび、自分の夢を軽く扱われた気がして、電話を切った。
今さら好きだと言えば、東京で失敗したから戻ってきたと思われる。それだけが怖かった。泰河を、負けたあとの逃げ道にしたくなかった。
「そっちは?」
「店、継いでる。駅前の金物屋」
「知ってる」
「見に来た?」
「バスから見えただけ」
雪が斜めに吹き込み、泰河がベンチの位置をずらした。里槻のスーツケースまで屋根の内側へ引く。
「東京はどう?」
二度目は、問い詰める声ではなかった。
「普通って言ったでしょ」
「その荷物で?」
「長く休みを取ったの」
「里槻、休むときに社員証まで捨てるんだ」
スーツケースの透明ポケットから、切った入館証のストラップが覗いていた。里槻は慌てて押し込む。
遠くでバスのライトが見えた。これに乗れば実家まで十分。乗り遅れれば、雪道を四十分歩く。
「笑えば」
「何を」
「東京に勝てなかった私」
泰河は眉を寄せた。「東京と戦ってたの?」
「あなたが、帰ってくればって言ったから」
「帰ってきて俺と暮らせ、って意味じゃなかった」
「じゃあ何」
「疲れたときくらい、帰ってきて寝ればって意味だった」
バスが雪を押し分けて近づく。
「言い方が悪い」
「七年かけて反省した」
扉が開き、運転手が「これが最終です」と告げた。
里槻はスーツケースの持ち手を握ったまま動けなかった。
「東京はどう?」
三度目の問いに、里槻はようやく顔を上げる。
「だめだった。だから、あなたを好きだって言うのが悔しい」
「そこ、つながる?」
「私の中では」
運転手が扉を閉めかけた。
里槻は一歩も乗らなかった。バスは二人を置いて発車し、赤いテールランプが雪に溶ける。
泰河がスーツケースを持ち上げた。
「実家まで送る」
「四十分だよ」
「知ってる」
里槻は取り返さなかった。代わりに帽子へ積もった雪を払い、彼と同じ速度で歩き始めた。