首輪の鈴が鳴らない歌

夜ごと酒場で歌う犬獣人オスカーの首には、小さな銀鈴がついていた。

 店主が鈴を鳴らせば歌い、止めれば息まで止まる。客は「忠実な歌犬」と囃したが、彼自身が歌いたい曲を選んだことは一度もない。

 ある雨の晩、向かいの宿屋を営むホノカが酒場へ入った。

「今夜の演奏契約を買います。金貨十枚」

「ずいぶん気前のいい客だ」

 店主は喜んで一夜分の所有札を渡した。

「鈴を一度鳴らせば、朝まで何曲でも歌うぞ」

 ホノカは札を受け取り、舞台へ上がった。

 オスカーは目を閉じる。次の命令を待つ顔だ。

 彼女は鈴ではなく、卓上の空グラスを匙で叩いた。

 澄んだ音が店内を走る。銀鈴が同じ高さで震え、ひとりでに鳴った。

「歌え!」

 店主が叫ぶ。

 だがオスカーの口は開かない。

 ホノカは二つ目のグラスへ水を注ぎ、もう一度叩く。少し低い音が銀鈴とぶつかり、首輪に細い亀裂が入った。

「何をしている!」

「宿では、壁越しの音を消すため逆の音を使うんです。この首輪も、命令の音しか知らないらしい」

 三つ目の音。

 銀鈴が割れ、首輪ごと床へ落ちた。

 店主が所有札を奪い返そうとする。ホノカはそれをランプの火へ差し入れた。

「一夜分を買ったのでしょう! なら私の印へ移せば——」

「買ったのは、壊すのに必要な時間です」

 灰になった札を見て、オスカーは喉を押さえた。

「何を歌えばいい」

「何も。今夜は静かな部屋を用意します」

 彼は宿へ来ず、雨の町へ歩いていった。

 ホノカは空室の灯りを消し、いつものように玄関を掃いた。

 夜明け前、軒先から低い歌声が聞こえた。

 オスカーが濡れた外套のまま立ち、自分で選んだ古い旅歌を歌っている。首元に鈴はない。それでも一節ごとに、宿の窓が静かに開いた。

 歌い終えた彼は、黒板へ料金を書いた。

『歌一曲につき、朝食一皿。歌わない日もあり』

「雇ってくれ、ではないんだな」

「ここで歌わせてほしい。嫌になったら辞める」

 ホノカは黒板の下へ『いつでも可』と書き足した。

 首輪の鈴が鳴らない朝、オスカーの歌は初めて、命令より遠くまで届いた。