香を焚かない誓約式
従軍薬師ミレナは、濃い香の煙で咳が止まらなくなる。
騎士団の誓約式で祭壇へ近づいた瞬間も、胸が詰まった。
騎士団長エドワルドが香炉を見た。
「消せ」
神官が驚く。
「忠誠を清める聖香です」
「煙だ」
一言で、騎士が窓を開けた。エドワルドは戦場で重傷者の悲鳴にも動じず、部下へ慰めを口にしない。けれどミレナの咳が一度深くなるだけで、白湯を出させる。
今日は蜂蜜も入っていない。甘い飲み物は喉へまとわりつくと、彼女が話したことを覚えている。
「背をさするか」
「今は大丈夫です」
彼はすぐ手を下ろした。
誓約式が再開され、神官長がミレナへ命じる。
「騎士団長の前へ膝をつき、生涯の奉仕を誓いなさい」
ミレナは立ったままだった。
「私は薬師として一年契約で来ました。生涯の奉仕は誓いません」
神官長の顔が険しくなる。
「団長に特別に庇護されながら、忠誠を拒むのか」
「感謝と服従は別です」
周囲の騎士が息を呑む。エドワルドは怒るどころか、誓約書を受け取った。
「一年に直せ」
「古式に反します」と神官長が言う。
「直せ」
「では、団長閣下との婚姻をもって永続契約とする案は?」
ミレナは即座に首を振った。
「それも嫌です」
神官長が呆れたように笑う。
「陛下ほどの方に望まれ、まだ選ぶつもりですか」
エドワルドの視線が鋭くなる。
「選ぶ」
彼は祭壇の膝台を横へ退け、ミレナが立ったまま署名できる机を置かせた。
「一年。更新は本人の意思のみ。婚姻条項なし」
ミレナが署名する前、エドワルドは窓から戻る風向きまで確かめた。煙が残っていないと分かるまで、神官に式文を読ませない。彼が彼女へ求めたのは忠誠の証ではなく、苦しくないかという答えだけだった。
全員の前で公印を押す。
「ミレナは膝をつかない。香も焚かない。彼女の拒否を、恩知らずという言葉で消すな」