魔物除けの鈴は鳴らない
神殿を追放された結界師ヴェラへ、司教は魔物だらけの農地を与えた。
「祈りの弱い者には、ちょうどよい修行場だ」
実際には三軒の開拓者が逃げ出した捨て地で、夜になると森の獣が畑を踏み荒らすらしい。
初日、ヴェラは一列の畑も耕さなかった。
境界へ杭を打つ。
銀の結界具は神殿に返したため、材料は古い匙、欠けた小皿、壊れた馬具の輪だけだ。彼女はそれらを細い縄へ結び、門から畑の端まで張った。
風が吹けば、ちりん、かたん、と頼りない音がする。
村人は遠巻きに笑った。
「そんな鈴で牙狼が逃げるものか」
「鳴ってから追い払う鈴ではありません」
杭の間隔は、ヴェラの歩幅で七歩ずつ。近すぎれば風にも反応し、遠すぎれば結界に穴ができる。欠けた皿は月の形、古い匙は太陽の形になるよう交互に吊るした。神殿の宝具より不揃いだが、拾った道具には誰かの食事を支えた記憶がある。縄を引くたび、かすかな音が次の杭へ伝わった。最後に門の高さを自分の肩へ合わせ、誰かに頭を下げなければ入れない造りにはしなかった。
夕暮れ、最後の杭を打ち込む。結界を閉じるには、その土地を何と呼ぶか宣言しなければならない。
神殿では、いつも『司教領』『聖域』『国有地』と唱えさせられた。自分のものだと言ったことはない。
ヴェラは泥のついた掌を杭へ置いた。
「ここは、私の家です」
縄に結んだ匙が一斉に震え、すぐ静まった。
夜、森の奥で牙狼が低く唸った。黄色い目が三つ、草むらに浮かぶ。けれど獣たちは境界の手前で鼻を鳴らし、見えない坂を避けるように向きを変えた。
鈴は一度も鳴らなかった。
門外には、司教の使者が召還状を挟んで立っていた。馬がどうしても境界を越えず、使者は苛立っている。
ヴェラは戸を閉め、小屋の鍋を開けた。玉葱と豆の煮込みから、甘い湯気が上がる。
「返事をお待ちください!」
「今は家の中です」
椀を両手で包むと、指先まで温かかった。
守るべき聖域を失ったのではない。ようやく、自分が守りたい場所を一つ手に入れたのだ。