鷹羽の地図
テムレクは羊皮紙の端へ、鷹の羽を縫いつけた。
草原の民は、地図の上を南にする。冬を背にし、夏営のある方角を上に置くからだ。帝国軍は北を上に描く。互いにそれを知っている者は少ない。
「わざと落とすのか」
弓騎兵オルガナが訊いた。
「わざと落とした物は拾われない。奪わせる」
退却する部族連合は、枯れ川の西岸にいた。東岸の砦まで渡れる浅瀬は一つ。だが追う帝国軍の方が速い。テムレクは後衛五十騎で、地図を守るふりをして一度だけ斬り合い、敵斥候に奪わせるつもりだった。
地図には浅瀬を赤線で記した。羊皮紙には古い汗と馬乳の匂いが染み、何度も使われた本物にしか見えない。紙の上では右上。帝国軍が北を上と読めば北東へ向かう。草原式なら南西、実際の渡河点だ。
「羽をつければ、上が分かるでしょう」
オルガナが鷹羽を撫でた。
「だから縫う。帝国では鷹の頭を北へ向ける。だがこの羽は尾羽だ」
細い羽軸の切り口を見分けられなければ、敵は羽先を鷹の頭と思う。賢さを自負する帝国の測量官ほど、飾りではなく方位記号だと信じる。
日が沈む直前、敵の斥候十騎が迫った。
テムレクは地図筒を胸へ抱え、守るように馬を返した。二騎を射落とし、わざと肩を斬られ、筒を落とす。オルガナが彼を馬上へ引き上げた。
「うまく奪われましたね」
「褒めるな。痛みが安くなる」
二人は南西へ走った。背後で角笛が鳴り、敵の本隊が北東へ向きを変える。地図を開いた測量官の顔が見える気がした。正しい知識を一つ持つ者は、間違った前提を疑わない。地図は土地を描く物ではない。描いた者の立つ向きを描く物だ。
浅瀬では、老人と荷車が水を渡っていた。最後の車輪が泥にはまり、若者たちが肩で押す。テムレクは後衛を並べ、北東へ行った敵が誤りに気づくまでの時を数えた。
やがて遠い平原で、帝国の信号火が三度上がった。進路修正の合図。猶予は百息。
最後の荷車が東岸へ上がる。
オルガナが鷹羽のない予備地図を掲げた。
対岸の砦で、黒馬の尾を束ねた軍旗が一斉に上がった。