黒箱の伴奏

列車事故の一周忌、唯一の生存者・長柄紗弓は、慰霊式で匿名作曲家〈BLACKBOX〉の曲を歌った。

イントロは発車ベルだった。ただし、事故車両が出た駅のものではない。運行指令室で警告が出た時だけ鳴る、短い電子音だった。

事故後、会社は「運転士の判断が遅れた」と発表した。紗弓も、最後までブレーキをかけなかった運転士を恨んだ。車内録音には、彼の声が残っていた。

「間に合わない」

匿名作曲家は、紗弓へ一度だけ連絡してきた。黒箱の音を楽器として使う。公開は一回。途中で何が聞こえても歌い切ってほしい。

Aメロで、車輪音が一定の拍を刻む。そこへ指令員の声が薄く混ざった。

――自動制御を切れ。試験データを優先する。

事故当日、会社は新しい遠隔速度制御を秘密裏に試していた。運転士がブレーキを引いても、指令室から解除されていたのだ。

サビで金属音が裂ける。紗弓は事故の衝撃を思い出し、声が震えた。スクリーンには黒箱の解析波形が出るが、会社役員は「創作された演出だ」と首を振る。

再び運転士の声。

「間に合わない」

今度はその前に、切られていた一文が戻った。

――乗客を後方へ。手動復旧では、もう止められない。

彼は諦めたのではない。最後まで避難を指示し、自分は運転席に残っていた。紗弓が助かったのも、その放送で後方車両へ移ったからだった。

最終サビ。匿名作曲家の正体を示す社員番号が映る。運行データ担当の斑鳩慧。事故直後に退職し、会社が消す前の黒箱データを保全していた。

役員が配信卓へ駆け寄る。だが最後の一音と同時に、全データが報道各社と遺族へ送信された。

役員の胸元のマイクが拾う。

「間に合わない」

最後だけ、それは列車を止められない絶望ではなかった。

隠蔽を終えるための時間が、もう残っていないという声だった。

紗弓は運転士の遺影へ頭を下げる。発車ベルと同じ電子音がもう一度鳴り、曲ではなく、調査再開の通知が会場中の端末へ届いた。