『全角Aの昇進者』

玄武エナジーの昇進判定会議で、百瀬弦は候補者一覧の二位に落ちていた。

一位は役員推薦の社員。総合評価は同じAなのに、順位点だけが百瀬より二十点高い。人事企画の津上礼子は「制度上の加点です」と説明し、役員は一位候補の部長昇進に署名しようとした。

百瀬は候補者として発言を許されていなかったが、画面を見て言った。

「そのAだけ、横幅が少し広くありませんか」

津上は「フォントの表示差」と答えた。

情報システム担当がセルを編集状態にすると、一位候補の評価は半角のAではなく全角のAだった。見た目はほぼ同じ。しかし順位計算の参照表に全角文字は登録されておらず、エラー時の仮点として満点の百点が入る設定になっていた。

「人事システムからの変換で起きた事故です」

津上はそう説明したが、版履歴では締切時点の文字は半角A。翌朝六時五十二分、津上が一位候補のセルだけ全角へ打ち直している。同時に数式のエラー表示を非表示へ変えた履歴も残っていた。

「動作確認です。順位に影響するとは知らなかった」

百瀬は会議招集メールを示した。前夜、津上は一位候補へ〈全角入力なら仮点が乗る。会議まで誰も気づかない〉と送っている。宛先を候補者本人だけにしたつもりが、同姓の監査担当をCCに残していたため保全されていた。

さらに早朝の会議室予約は〈昇進順位最終調整・津上一名〉。偶然で通す余地は消えた。

情報システム担当は、津上が一週間前に複製した試験用シートも見つけた。半角A、全角A、空白を順番に入力し、順位がどう変わるか確認している。ファイル名は〈一位にする方法〉。削除済みだったが、会議招集への添付履歴から復元された。知らなかったという説明まで、試験済みだった。

役員は署名欄からペンを離した。情報システム担当が文字を半角Aへ戻すと、一位候補は三位へ落ち、百瀬の名が先頭へ上がった。

津上は「たった一文字です」とつぶやいた。

役員は昇進決裁を百瀬へ切り替え、津上の人事企画職を解いた。

たった一文字だからこそ、誰を上げ、誰を落としたかが鮮明だった。