JPYの三文字

 架橋エナジーの海外契約担当、羽咋研吾は、英語の契約書を日本語に要約する仕事をしていた。

 年度末の決裁会議で、炭素排出枠の売却益十三億円が報告された。契約総額八百万ドル。財務担当役員は、為替換算表を示して胸を張った。

「契約金額は八百万ドルで確定済みです」

 研吾は首を振った。交渉相手は小規模な環境財団で、予算上限は一千万円だった。ドル建てなら契約できないと先方が何度も伝え、最終日の夜、研吾自身が画面越しに通貨修正を読み上げている。

「八百万は、円です」

 役員たちが一斉に契約書を見た。本文の価格欄には「8,000,000」とだけあり、通貨は別紙に定める、とある。決裁資料の別紙には「USD」と印字されていた。

 研吾は原本の別紙を開いた。

 通貨欄は当初USDだったが、交渉最終日に二重線で消され、手書きでJPYと訂正されている。横には双方代表のイニシャルがあった。

「交渉メモにすぎない」

 財務担当役員が言う。

「署名済み原本です」

「相手方もドルのつもりだった」

「先方は八百万円を入金済みです」

 研吾は着金通知を置いた。金額は8,000,000 JPY。ドルなら十数億円になるはずだった。

 会議資料の換算表には、入金済みの八百万円まで「前受金」として別枠に置かれていた。同じ契約から、現金と十三億円の売掛金が二重に生まれていた。

「残額は売掛金だ」

「請求書にもJPYとあります」

 社長が机をたたいた。

「なぜ決裁資料だけUSDなんだ」

 財務担当役員は、翻訳時の誤記だと答えた。

 研吾は自分の翻訳履歴を表示した。初版から最終版まで、通貨はすべてJPY。決裁資料を作成した夜、別の利用者が三文字だけUSDへ置換していた。

 利益十三億円を外せば、架橋エナジーは上場維持基準に届かない。

「三文字の違いで市場を混乱させるのか」

 財務担当役員が研吾をにらんだ。

 監査法人の責任者は、USDと印字された決裁資料を閉じた。

「三文字で十三億円を作ったのは、こちらです」

 議長は承認用の電子署名を取り消した。

「通貨を戻すまで、決算を止める」