残す人、残らない記録
楠葉商事の合併後人員面談で、真壁宗親の前には残留通知書が置かれていた。
年俸一千二百万円のプリンシパル。部下の配置案にも、すでに真壁の承認欄が設けられていた。履歴書では、前職の西部地域統括責任者として六拠点を管理したことになっている。現場に厳しいが数字は作る。統合で管理職を三割減らすなか、経営会議は真壁を残すと決めていた。通知書には新組織の役職名まで印字され、署名欄だけが空いている。
面談担当の柚木が、署名を促す前に聞いた。
「入社時の職務経歴書は、ご自身で作成しましたか」
「当然です。今さら何です?」
「人事フォルダの原本が見つからなかったので、確認です。合併時の全文検索で、別の場所から見つかりました」
真壁は肩をすくめた。「昔の担当者が消したのでしょう。私の責任ではない」。残留が決まった人間の余裕が、声ににじんでいた。
柚木は、六年前の会議室予約を開いた。採用面接に使った第三区画応接室。予約者は退職済みの人事課長で、添付欄に応募書類がそのまま残っていた。
そこにある真壁の前職は〈物流倉庫・契約作業員、一年二か月〉。管理人数はゼロ。資格欄も空白だった。
真壁は即座に言った。「同姓同名の別人です」
「応募時の電話番号も、生年月日も、現在の緊急連絡先も一致します」
柚木は次に、内定交渉用の共有ファイルを示した。面接翌日の午前零時七分、真壁の個人アカウントから履歴書が差し替えられている。地域統括責任者という肩書と六拠点の数字は、その夜に初めて現れた。差し替え直前、人材紹介会社から〈統括経験があれば上限年俸を提案可能〉というメールが届き、真壁にもCCされていた。
「六年も成果を出した。それで十分でしょう」
柚木は答えず、残留通知書の裏に印刷された審査条件を指した。重大な申告相違がないこと。真壁自身が、部下の面談で何度も読み上げた条文だった。
真壁は通知書へ手を伸ばした。
柚木の手が先に届き、紙を引き戻す。
「残留決定を撤回します。あなたは統合後の選任対象から外れます」