「いいえ」で外れる指輪

ヴィオラの左手は、白く凍っていた。

薬では治らない。原因は薬指の婚約指輪だ。結婚を拒む言葉を口にするたび冷気を放ち、今朝「嫌です」と言っただけで肘まで凍りかけた。

「外してほしい。でも壊せば、契約違反で家が罰金を負う」

式は明日の正午。家の者は手袋で凍傷を隠せばよいと言い、指輪を外す鍵は婚約者しか持っていない。ヴィオラは夜明け前に屋敷を抜け、一人で店を探した。左腕を包む布は霜で硬く、歩くたび薄い氷片が床へ落ちた。

修理店《留め直し》のクレフは、指輪を切らずに拡大鏡を当てた。内側には古い精霊文字、その上から新しい命令文が乱雑に刻まれている。

元の文は《持ち主の意思に反する結びつきを拒む》。後から誰かが一文字足し、《拒む意思を凍らせる》へ変えていた。

「これは婚約の道具ではありません。本来は、無理な契約から守る指輪です」

クレフは足された一画を削ろうとしたが、ヴィオラが止めた。

「削れば、改ざんの証拠が消える」

彼女の声は震えていても、目はまっすぐだった。

そこでクレフは一画を残したまま、その周囲へ細い金線を埋めた。偽の文字だけを読まないよう、魔力の道を迂回させる。傷跡は表からも見え、誰が何をしたか隠せない。

「言ってください」

ヴィオラは凍った指を胸の前へ上げた。

「私は、この婚約を望みません」

冷気は出なかった。

代わりに指輪が澄んだ音を立て、自分から二つに開く。凍りついた皮膚へ血色が戻り、古い文字が金色に輝いた。曲がらなかった指が一本ずつ動き、ヴィオラは自分の手で証拠袋の口を結んだ。

彼女は外れた指輪を証拠袋へ入れ、右手で代金を数えた。

「直してもらったのに、使わないのですね」

「いいえ。初めて正しく使えました」

扉へ向かう足取りは軽い。敷居の前で振り返る。

「家の印章も、勝手な命令を足されているかもしれません。明日持ってきます」

ヴィオラが去ると、作業台には溶けた霜だけが残った。

クレフが布で拭き取った瞬間、ちりん、と自由な音でベルが鳴った。