お買い上げのあとで
荒砥和暁は、陶芸展の初日にいちばん高い鉢を選んだ。
「値札どおり払う。その代わり、作家本人に包ませろ」
作者は海外出張中だった。応対した弟子の樋ノ口翠が説明すると、荒砥は鼻で笑った。翠はこの展覧会の設営から湿度管理まで担当し、鉢の重さも亀裂のないことも朝に確認していた。
「弟子なら作品の値打ちを説明してみろ」
翠は、灰の流れが一度きりの景色を作ること、薄い口縁ほど焼成時に割れやすいことを話した。
「つまり偶然できた失敗作か」
それでも荒砥は購入申込書へ署名し、カードを端末へ差し込んだ。承認音が鳴り、店主が領収書を印刷する。
「手に取って確かめる」
「大変薄い作品です。台の上でご覧ください」
「買った客に触るなと言うのか」
荒砥は翠の手を払って鉢を持ち上げた。指で縁をはじき、「音も大したことない」と笑う。そのまま振り返った拍子に、鉢が展示台の角へ当たった。
乾いた音がして、灰青色の口縁から一本の亀裂が走る。焼き直しも継ぎ直しも、作者が意図した姿には戻せない。展示室にいた全員が、その音だけで分かった。
荒砥は一秒だけ黙り、すぐ翠を指した。
「こいつがぶつかった。こんな狭い通路に立たせる店が悪い」
翠は何も言わなかった。天井の防犯カメラが、二人の間に一メートル以上あったことを映している。
「決済は取り消せ。店の保険で直せばいい」
店主は決済端末の時刻と並べて映像を再生した。荒砥が翠の手を払い、自分で鉢を台へ当てる場面が止まる。
「映像の角度がおかしい。客を陥れるつもりか」
荒砥はカード会社へ連絡しようとした。
そこへ、展覧会の契約を担当する司法書士が奥から出てきた。高額品の引き渡し確認に立ち会っていたのだ。
「申込書の第六条です。売買契約には、決済承認時に所有権が移転するとあります」
「まだ包んでもいない」
「引き渡し前でも、ご本人の希望で占有を開始されています。破損時刻は承認の二分後です」
印刷機が最後の一行を吐き出した。
《所有者 荒砥和暁》