なくした荷物、着ていく名前

鷹取美琴は、地方研修の前日に仙台へ入った。

会社には「交通の乱れに備えるため」と説明したが、本当の目的は夜の舞台だった。終演後に買った黒いパーカーには、背中いっぱいに役名《黒曜のレオン》が印刷されている。ホテルの部屋だけで着るつもりだった。普段の美琴なら、名前の大きな服は選ばない。それでも最後の一着を手にしたとき、遠征した夜そのものを持ち帰れる気がして買った。レジ袋から出したのも、ホテルに入ってからだった。

翌朝、駅前ホテルから研修会場へ向かうバスで、キャリーケースを取り違えられた。スーツもブラウスも全部、行方不明。手元にある着替えは、昨夜のパーカーだけだった。

美琴は白いシャツの上からパーカーを着て、背中の文字をストールで隠した。受付で会った同僚には「寒くて」と言ったが、室内は暖房が効いている。ストールがずれるたび、黒曜の二文字がのぞいた。

午前のグループ発表で、美琴は地域企業の担当者と組んだ。資料を映すため前へ出ると、ストールが椅子に引っかかって落ちた。

背中の役名が、会場中へ向いた。

数人が文字を読み、美琴は説明を忘れた。すると担当者が、小さく息をのんだ。

「昨日、私も観ました」

彼女は鞄から同じ公演のチケットケースを出した。昼公演だけ観て、夜は子どもの迎えで帰ったという。

「そのパーカー、売り切れて買えなかったんです。後ろ、よく見せてもらってもいいですか」

笑われるために露出した文字が、誰かには羨ましいものだった。

発表が始まる。美琴はストールを拾ったが、首へ戻さず、椅子の背へ掛けた。黒曜のレオンを背負ったまま、数字と提案を説明する。内容は昨夜までの自分と何も変わらず、質疑にも答えられた。

昼休み、取り違えた相手からキャリーケースが届いた。スーツへ着替える時間は十分ある。

美琴はケースを開けず、パーカーの袖を少しまくった。

午後の名札の下には、会社名と自分の名前。その背中には、好きな役の名前。二つとも見えるまま、次の席へ向かった。